[幻の女]
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北見を刺した犯人は捕まらなかったが、アリサへのストーカー被害が止んだ以上、そこから出来る事は殆ど無かった。
しかし、依然アリサは自分に向けられる「監視の視線」と尋常ではない「悪意」を感じていた。
アリサの様子に権さんも何か感じる所が有ったのだろう、キムさんに「普通」の事案ではないかもしれないと報告した。
キムさんから話を聞いたマサさんは、俺が不在の間、アリサの相談を聞いていたようだ。
北見を刺した犯人は依然逮捕されておらず、アリサは不安に怯えていた。
キムさんの「有給休暇扱いにしてやるから彼女に付いていてやれ」との言葉で、俺はアリサの警護に付く事になった。
俺は、アリサの自宅と事務所の往復に付き添うと共に、事務所に詰めることにした。
アリサの事務所には先代所長の頃からの事務員の女性と、国家試験受験生だと言う根本と言うアルバイト事務員の男がいた。
この根本が、北見によるストーカー被害が始まって以来、アリサの送迎をしていた男だった。
俺は根本と机を並べて事務所の雑用をこなしつつ、自宅にいる時間以外はアリサと行動を共にしていた。
根本はアリサに対して恋慕の感情を抱いていたようだ。
決して悪い男ではなかったが、アリサの送り迎えは彼にとって貴重な時間だったのだろう。
「受験勉強の邪魔になっては悪いから」というアリサの言葉によってだったが、彼の貴重な時間を奪った俺の存在は面白くなかったようだ。

俺がアリサのガードに付いて2・3週間、特に変わったことは無かった。
アリサは怯えていたが、俺にはアリサの言う「悪意」とやらは感じることが出来なかった。
キムさんやマサの元でそれなりに場数を積んだ俺には、危険に対する嗅覚が備わっていた。
力のない俺が何とか無事にやってこれたのは、危険な空気や自分の手に余る危険を嗅ぎ分ける「嗅覚」のお陰だった。
だが、ある月曜日の朝、状況は一変した。
事務所に到着した俺は、一見いつもと変わらない事務所の空気の中に「殺気」を感じていた。
「殺気」はアリサではなく、俺に向けられたものだった。
普段と変わらぬ態度で必死に隠してはいたが、殺気の主は根本に間違えなかった。
俺がアリサの送り迎えをするようになってからも、根本がアリサのマンション近辺に遠回りして通勤している事に俺は気付いていた。
それでも俺の中で根本はストーカーとしてはノーマークだったが、この敵意は彼のストーカー行為を如実に表していた。
堅い商売であるアリサの体面も考慮して、俺は以前のような泊まり込みの警護はしていなかった。
北見のこともあって、アリサを監視するストーカーは、ターゲット本人ではなく、近付く異性に敵意を向けるタイプと俺は踏んでいた。
厄介なタイプだが、俺はアリサから離れたタイミングを狙ってストーカーが俺に向けてアクションを起す事を期待していた。
だが、俺は大きな読み違え、計算間違いをしていたらしい。

その前の週末、いつも通りにアリサを部屋に送った俺は、そのまま帰ろうとしていた。
そんな俺にアリサが『たまには寄って行きなさいよ』と声を掛けた。
結局俺は部屋に上がり込み、久しぶりのアリサの手料理に舌鼓を打った。
久々に口にしたアルコールも手伝ってか、そのまま俺達はベッドに雪崩れ込んだ。
寝物語の中でアリサは盛んに『いっそこの部屋に住んじゃいなさい』とか『危ない仕事は辞めて、このまま事務所に勤めてよ』といった言葉を繰り返した。
結局、俺は日曜の夕方までアリサの部屋で過ごしたのだが、そんな俺の行動やアリサとの会話を「聞かれていた」のなら根本の俺への敵意にも納得が行く。
後日、俺はキムさんのボディガードの文の伝で簡易検出器を借りて、勤務時間中に事務所を抜け出してアリサの部屋を調べ上げた。
案の定、アリサの部屋から3個の盗聴器が発見された。
俺は根本を挑発する為に、盗聴器をそのままにして、アリサの部屋に泊まり込んでの警護に方針を変えた。
目論見通り、根本の俺に対する敵意や殺意は日毎に強まっていった。

そんなある週末の事だった。
深夜、俺は異様な気配に目が覚めた。誰かに見られているような気配、強烈な「悪意」。
根本が来ていると悟った俺は、アリサを起さないようにベッドから抜け出て服を着るとマンションの外に出た。
人通りはなかったが「気配」を感じる。
盗聴電波の受信範囲から考えて、そう遠くない場所にいるはずだ。
俺は根本を探して付近を歩き回った。
少し先の公園前の路上に見覚えのある青のプジョーが止まっていた。根本の車だ。
エンジンキーは挿しっ放しで、助手席には受信機だろう、大き目のトランシーバーのような形状の機器が無造作に置かれていた。
そう遠くには行ってないはずだ。
俺は携帯でアリサに電話をすると、俺が戻るまで誰が来てもドアを開けないこと、コンポに入っているCDを掛けてくれと頼んだ。
助手席の受信機から伸びるイヤホンを耳に刺し、電源をいれ周波数調節のツマミを回した。
直ぐに受信機が音を拾った。アリサが好んで聞いていたクラナド、いや、モイヤ・ブレナンの曲が聞こえる。
盗聴器を仕掛けた犯人は根本に間違いないようだ。

続く