[シャンバラ]
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京子の母親、山佳 京香こと朴 京玉(パク キョンオク)は、スタジオ数3軒程のヨガ・スクールの経営者だった。
キムさんの調査によると、朴 京玉は変わった経歴の持ち主だった。
とにかく、異常な数の宗教団体を渡り歩いていた。
名の知れた教団に所属していた事もあったが、その殆どが地方の小規模な教団だった。
神道系、仏教系、キリスト教系・・・教団の教義等には共通性はなかったが、何れも「生き神的」教祖が一代で築いた新興宗教が殆どだった。
山佳 京香が入信した多くの宗教団体は教祖や教団幹部の「女性問題」が元で解散や分裂の末路を辿っていた。
夫であり京子の父親である山佳 秀一こと崔 秀一(チェ スイル)は、京玉の宗教遍歴で入信した教団の一信者だった。
老齢の資産家だった崔 秀一と娘・京子との間には、京子の東アジア人離れした容姿が示すように血の繋がりはないようだ。
朴 京玉と結婚し、京子が生まれた直後に崔 秀一は病死している。
朴 京玉の宗教遍歴の中には「A神仙の会」という後に宗教団体に改変されたヨガ道場もあった。
宗教団体化したA神仙の会が後に未曾有の事件を起こした頃まで朴 京玉の宗教遍歴は続いた。
宗教遍歴を止めた山佳 京香は夫の遺産を使ってヨガ・スクールを開講した。
事件後の「ヨガ不況」の中、スクールは順調に展開し、数年の間に常設のスタジオ3軒を構えるまでに成長していた。

キムさんは更に朴 京玉の過去を洗った。
朴 京玉は日本人の母と在日朝鮮人の父との間に生まれた元・在日朝鮮人2世だった。
父母共に、家系的には宗教や呪術とは関わりのない、ごく普通の家庭だった。
京玉が小学6年生のとき、交通事故で母が死亡した。
長距離トラックの運転手として生計を営んでいた父親は、京玉を自分の両親に預けた。
京玉を預かる条件として、祖父母は彼女を地元の民族学校に通わせた。
しかし、帰化家庭に育ち、木下 京香という日本名のみを名乗り、朝鮮語も学んだ事のなかった京玉は学校に馴染む事が出来なかった。
中学1年の夏休み前に京玉は不登校となり、自室に引き篭もるようになった。
元々占いや呪い、心霊写真や怪談の好きな少女だった京玉は、引き篭もった自室でオカルト雑誌や超能力関係の書籍を読み耽るようになって行った。
やがて、オカルト雑誌の読者欄を通じて同好の士と文通するようにもなった。
部屋に引き篭もり切りとなった孫娘を祖父母は心配し、その原因を作ったことに強く責任を感じていたようだ。
そんな京玉が、祖父母に初めて頼み事をした。
ヨガを習わせて欲しいと言うのだ。
ヨガがどういったものなのか祖父母には良く判らなかったが、部屋から出て身体を動かして、孫が少しでも健康になってくれればと、京玉の願いを聞き入れた。
京玉はヨガにのめり込んだ。
祖父母は、電車で片道1時間のスタジオ通いがそう長く続くとは思ってはいなかったらしい。
しかし、安くはないレッスン料を払い続ける祖父母を十分に満足させる真剣さで京玉はレッスンを重ねた。
真剣な受講姿勢や京玉自身の才能もあったのだろう、2年目からは特待生としてレッスン料は免除された。
3年目からは「内弟子」として寮に入ることになったが、最早、父や祖父母も京玉を止める気はなかった。
京玉の通ったヨガスタジオの主催者は旭 桐子という女性だった。
入会から5年後、スタジオが閉鎖される頃には京玉は旭のアシスタント的な存在になっていた。
旭 桐子は年に数度インドに渡航して修行を重ねるといった本格派だったが、ヨガ業界では無名の存在だった。
むしろ、そういった方面とは一線を画していたようだ。
だが、彼女の名は一部の宗教関係者、特に「法力」や「超能力」を売り物にする怪しい連中の間では知られていたようだ。
朴 京玉も旭 桐子に伴われて何度もインドに渡航していた。
スタジオ閉鎖後の旭 桐子の消息は不明であるが、朴 京玉はヨガを続け、日本で滞在費を稼いではインドに修行の為に渡航すると言う生活を続けていたようだ。
そして、長期間・・・2年ほどのインド滞在の後に、朴 京玉の宗教遍歴が始まった。

続く