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[シャンバラ]

そこはキムさんの持ちビルの一室だった。
照明は落とされ、明かりは蝋燭の炎だけだった。
ガラス製のテーブルの上には注射器とアンプル、アルミホイルを巻かれたスプーンが置かれていた。
キムさんが「大丈夫か?注射にするか?それとも、もう一度鼻から行くか?」と声を掛けてきた。
俺は、朦朧とする意識で「注射で」と答えた。
塩酸ケタラール・・・2005年12月に麻薬指定が決定され、2007年1月1日より施行されたが、この時点では合法な麻酔薬の一つに過ぎなかった。
時間感覚が消失していたが、その30分ほど前、俺はアンプルの液体を蝋燭の炎で炙って得られた薄黄色の針状結晶を鼻から吸引していた。
テーブルの上でテレカで砕いた結晶を半分に切ったストローを介して一気に吸い込むと鼻の奥に強烈な刺激が走り、やがて俺の意識はブラックアウトした。
朦朧としながらも意識を取り戻した俺に、キムさんはアンプルから吸い上げた薬液を注射した。
シリンダーが押し込まれると、ゴォーッという大音響と共に俺は深くて暗い穴の奥に吸い込まれて行った・・・

俺がケタミンという、マイナーなサイケデリック系のドラッグを試したのは「仕事上」の必要から、擬似的な臨死体験とも形容される幻覚体験を得るためだった。
薬物による幻覚体験の中で意識を鮮明に保つ必要があったのだ。
事の発端は、キムさんが知り合いの女霊能者から請けた仕事だった。

俺はキムさんに伴われて、ある女霊能者の元を訪れた。
日を改めて書きたいと思うが、キムさんと女霊能者との間には只ならぬ関係がある様子だった。
女霊能者は俺たちを奥の部屋に通した。
部屋には「治療中」だという一人の男がいた。
男は、狂気を湛えた獣のような眼光を俺たちに向けていたが、骨と皮ばかりに痩せ衰え、カサ付いた皮膚からは精気と言うものが一切感じられなかった。
何か質の悪い「憑物」に取り付かれているのは明らかだったが、憑物の正体に付いては俺には伺い知れなかった。
それよりも気になったのは、枯れ果ててしまったかのような男の精気のなさだった。
この男の精気のなさに俺は思い当たる事があった。
これは、「房中術」によって精気を抜き取られた成れの果てなのではないか?
「房中術」について、俺には苦い記憶があった。
初めてマサさんの下で修行した折に、娑婆に戻ったばかりの俺は、聞き覚えた「房中術」を知り合いの風俗嬢で試した事があるのだ。
マサさんの警告を無視して1週間ほど彼女と交わり続けた俺は、荒淫の果てに彼女を「壊して」しまった。
「房中術」により許容限度を越えて「精気」を奪われた人間は、肉体に回復不能の重大なダメージを負ってしまうのだ。
この、松原と言う美大生は20歳を少し過ぎたばかりの年齢だったが、痩せ衰えたその姿からはとても信じられるものではなかった。
「憑物」の方は何とかなったとしても、精気を奪い尽くされた身体の方は元通りに回復する事は絶望的に見えた・・・

応接室に通された俺たちの前に、女霊能者が一人の女を連れてきた。
山佳 京子・・・崔 京子(チェ キョンジャ)は、松原とは美大の同級生と言うことだった。
松原とは少し異なる類のものだったが、京子にも相当質の悪い「憑物」が憑いている事が俺にも判った。
京子や松原に纏わりついている独特の「悪い空気」は、霊感の類などなくても殆どの人が「感じる」ことが出来たであろう。

松原は女霊能者の師匠である、先代の頃からの信者の子息だった。
幼少の頃から感受性や霊感が強く、先代の霊能者には「これだけ霊感が強いと普通の生活は難しいだろうから、修行の道に入った方が良い」と言われていたそうだ。
だが彼は、人並み外れた霊感や感受性という才能を霊能ではなく、絵画と言う芸術の道に生かす人生を選んだ。
強い霊能を持つ松原は、同級生の山佳 京子に纏わり憑く、非常に強力で悪性の「憑物」に気付いた。
この時点で、松原は女霊能者の元を訪れて相談するべきだった。
松原の家族が息子の異変に気付いた時には既に手遅れの状態であり、松原は回復不能な廃人状態に陥ってしまっていた。
そして、京子の話によれば、松原をこのような哀れで無残な状態にしてしまったのは、他ならぬ京子の母親と言う事だった。

続く