[ごうち]
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簡単な挨拶の後、ウエノさんが用件を切り出す。
「新Q地区にカンダさんが所有している土地についてのことなんですが」
「はあ」
「それで、あの土地についてご存知のことを教えて欲しいのです」
「いや、私はただ土地を持っているだけですが」
最初、カンダ氏は不信感、敵対心がありありだったという。もっとも、見ず知らずの人間が尋ね
てきて、いきなり土地のことを聞けば無理はないのかもしれない。
さらに少しやりとりがあったあと、ウエノさんが努めて穏やかに言った。
「私どもは、カンダさんに金銭的なことを含めて何か要求したり、責任を追及する気はありません。
ただ、俄かには信じられないかもしれませんが、あの土地が原因で人の命が奪われている可能性が
あります。ですから、何でもいいので昔からの謂れを知っていたら教えて欲しいのです。決して、
それを悪用したり、むやみに人に漏らしたりはしないとお約束しますので。どうかお願いします」

そのとき、ひとりの老婆が部屋に入ってきた。カンダ氏のお袋さんである。80を優に超えてはい
るがしっかりした人である。
「その子(カンダ氏のこと)はあまり知らないから、私がお話しましょう」
「是非お願いします」
「あそこは忌み地なんですよ」カンダ婆さんはそう話し始めた。まとめると、次のようなことで
ある。

いつの時代かははっきりしないが、かなりの昔からその土地に「不幸な出来事」に関連するもの、
「穢れた」ものなどを捨てる(埋める?)ようになった。
それは物質的なものだけではなく、気持ち的なもの、所謂「怨念」や「憎悪」などを代々捨てて
きたという。
ただし、カンダ婆さんがカンダ家に嫁にくる頃には、その風習はほとんど廃れており、実際にど
のようにやっていたかは分からない。しかし、舅や旦那(亡くなっている)から概要を聞かされ
ており、そこには無闇に入ってはならないこと、また子供を近づけてはならないなどと注意を受
けていた。
そして、その土地を「ごうち」と呼んでいた。なぜ「ごうち」と呼ぶのか、またどんな漢字が
あてはまるのかは分からない。

その土地はカンダ家の所有ではあるが、管理は集落で行っていて、そういったことは集落全体で
共有していた。
ただ風習はなくなっても、「ごうち」は集落の主に年寄りたちによって管理されつづけ、その
集落一帯が新Q地区となって再開発されるまで行われていた。
もともとカンダ家は集落一の地主であったのだが、農地解放で落ちぶれた。ただし落ちぶれたと
はいっても、かなりの土地は残り、バブルと再開発の影響で土地は高騰、しかし土地を手放すこ
とに抵抗していたカンダ婆さんの旦那(カンダ家先代)が亡くなると、カンダ氏は土地を売り、
それを元手に事業に手を出した。そのうちバブルも崩壊して、事業もだめになり、今はここに
いる。
「ごうち」であるが、そこだけはカンダ婆さんが売却にはかなりの難色を示し、周辺の家々か
らも売らないでくれと懇願されたので、そこと周辺の一部はわずかな土地ではあるし残した。

「そう言われてみれば」とカンダ氏も言った。「そう言われてみれば、子供のころは“ごうち”
の周りにあった雑木林で遊んだときは親父に酷く怒られたっけ。あと、“ごうち”の端を流れ
る水路でも絶対に遊ぶなと、何度も言われたな…」

「心配だったんですよ」とカンダ婆さんは話の最後に呟いた。

ウエノさんは帰りの車の中で「私にはちょっと手に負えないかも。アキバさん今日はお時間
取れます?」と聞いてきた。
アキバは大丈夫だと答える。
「それならW市に行って欲しいのですが」
W市とはQ町近辺の市町の中心的役割を果たす市である。
丁度よいことにカンダ氏宅からQ町に戻る途中に通ることもあり、寄り道するには好都合だった。

ウエノさんからW市で紹介されたのは、オオサキ氏という男性であった。
ちなみに、次から次へと霊能者を紹介されて、ぼられるんじゃないかとアキバは心配したそう
だが、そのときに、ウエノさんとオオサキ氏からきちんと説明を受けて安心したとのことだ。

続く