[和解]
前頁

アリサも俺の声に驚いたのか、目を覚まし、ベッドの上で身を起こして俺の方を見ていた。
俺はたった今見たものをアリサに伝えた。
鈴の音、50代半ば位の髪の長い女、女の顔立ちの特徴、左目尻の少し大きめの泣き黒子・・・
それが多分、生霊である事、更に鼻の奥に微かに感じた消毒薬の匂い・・・生霊の主は病院にいるかもしれないこと・・・
アリサはポツリと答えた「多分・・・私の母です」
アリサは俺に自分の過去を話し始めた。

アメリカで生まれたアリサは8歳までアメリカ、12歳までシンガポールにいた。
父親の仕事の関係だった。
中学校進学時に帰国。母方の祖母の元に身を置いた。
祖母の元には、先に帰国して日本の高校に通っていた兄がいた。
帰国子女としての英語力への過信から入試を楽観視していた兄は、大学受験に悉く失敗し浪人する事になった。
忙しくて不在がちな両親の元、家庭内でしか日本語を話していなかったアリサには日本語でのコミュニケーション能力に少々難があった。
女性的な外見もあってか、中学時代のアリサには友人と呼べる者は居らず、いじめを受け続けていたらしい。
しかし、アリサを決定的に傷付けたのは兄と母親だった。
思春期となり、女性としての性意識と自分の肉体のギャップに苦しんでいたアリサに、受験ノイローゼなどが原因なのだろうか、兄は虐待を加えるようになったのだ。
翌年、再び受験に失敗した兄のアリサへの暴行はエスカレートする。
兄の2浪目の夏、アリサの母親は日本に帰国してきた。
アリサの父親との離婚が成立したのだ。

アリサにとって家庭にも学校にも居場所はなかった。
学校ではいじめられ、家では兄による虐待が続いていた。
祖母は外見が少し日本人的でなく、女性的なアリサを疎ましく思っていたらしく、兄の暴行を見て見ぬ振りしていた。
また、祖母と同様、母親も兄を溺愛しており、アリサには余り関心を示そうとはしなかった。
アリサの精神は崩壊寸前だった。
それに止めを刺したのが母親だった。
兄とアリサの現場を目撃した母親は、虐待を加えていた兄ではなく、被害者であるアリサを激しく叱責したのだ。
中学2年の3学期からアリサは学校へ行かなくなり、進学先も決まらぬまま中学卒業を迎えた。
そして、17歳の時、アリサは家を出た。
大学を中退した兄が帰ってくると聞いたからだ。
今度こそ守ってもらえる、自分が出て行くのを止めてもらえると期待して発した「家を出る」と言う言葉に、母親はこう答えたと言う。
「そうしてくれると助かる。もう帰ってこなくていいから」
母親は実家から離れた所にアパートを借り、かなりの額が入った預金通帳をアリサに渡すと一切自分から連絡を取らなかった。
アリサは18歳になるのと同時に、郷里を離れ、きょうこママの店で働き出した。
兄が帰ってくると聞いて、恐怖で頭が真っ白になった状態で駅のホームに立ち尽くしていたアリサに、旅行中のきょうこママが声を掛けていたのだ。

19歳の時、アリサは大学検定に合格し、同年12月に学費の全額給費制度のある関東の某私大を受けた。
給費生には選ばれなかったが、一般枠で合格したアリサにママは学費の貸与を申し出たが、アリサはそれを固辞した。
預金通帳には4年間大学に通うのに十分な残額があったが、アリサはそれにも手を付けようとはしなかった。
夜、ママの店で働きながら通信制の大学で学び、並行して資格試験の勉強を続けた。
途中一年間、タイで手術を受けた為に勉強は中断したが、その後復帰して卒業。
ママの紹介で入った事務所で働きながら資格の勉強を続けて翌年合格。
合格した年に、使った分を全額戻した預金通帳を実家に郵送している。
そして、アリサの合格を待っていた老所長に、最近、事務所の全権を委ねられたのだ。

アリサの中で家族、そして母親は、既に遠い、それも忌まわしい過去の存在だった。

アリサは声を荒げて「私が何をしたって言うの?これ以上どうしろっていうのよ!いったい何の恨みがあるっていうのよ!」と叫んだ。
顔を覆った手の、細い指の間から涙がこぼれた。
無理もないのだろうが、アリサは母親に呪われていると取ったようだ。
俺はアリサに「生霊とは言っても呪いとか悪霊といった感じではなかった。むしろ、子を想う母親って感じだった。
アリサも言ってたじゃないか。悪意のない視線を感じるって」と言った。
「それじゃ、私にどうしろって言うのよ!」
「アリサは一回実家に帰って、お母さんに会ってみるべきだ。多分、今を逃したら、もうチャンスは無いと思う」
続く