[血雪]
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だが、親父と二人で、闇の中を雪に足をとられながら橋にきてみると、街灯のうす暗い
光のなかに、女の姿はなかった。親父は「おーい、どこにいるんだ」と女を呼んだが
返事はなく、おれもあたりの闇を見まわしたが、人の気配はない。そして不思議なことに、
女がうずくまっていたと言うあたりの雪には、親父の足跡しかなかった。
「川だ」おれは、女が川に飛び込んだんじゃないかと思い、雪に埋もれた土手の斜面を
おりて探そうとした。だが、土手下は足元も見えないほどの暗闇につつまれていて、
危険で降りられなかった。

そうこうしているうちに、救急車が雪のなかをもがくように到着し、また、駐在所の
警官も原付バイクで転倒しそうになりながらやって来た。親父は警官に経緯を説明し、
空もようやくしらみはじめたので、救急車の隊員も一緒に、周囲をさがしてみた。
だが、周囲にも、膝までの深さしかない川の橋の下にも、女の姿はなかった。
女の足跡もなく、それどころか、橋の上の雪には、わずかの血痕さえもなかった。

夜が明けてからも、止む気配もない雪のなかを1時間ほどさがしてみたが、
女がいた形跡はなに一つ見つけられなかった。
らちがあかないので、救急車は来た道を戻り、親父は警官といっしょに駐在所へ
行くことにした。書類をまとめるために、事情をあらためて聞かせてほしいとの
事だった。おれは何ともいいがたい気分で、独り家へ戻った。

家に帰ると、母ちゃんが台所で朝飯のし支度をしていた。体の芯まで冷えたおれは、
すぐ炬燵にもぐりこみ、そのままの姿勢で先ほどまでの経過を母ちゃんに話した。
母ちゃんは「気味がわるいねえ」とか言いながら味噌汁つくっていたが、ふと、台所の
窓から外を見ながら、「あれ、その女の人じゃないかね」とおれを呼んだ。
おれは台所の窓に飛んでいったが、窓からみえるのは降りしきる雪ばかりだった。
「私の見まちがいかねえ」とボヤく母ちゃんを尻目に、おれは再び炬燵に戻ろうとしたが、
そのとき炬燵が置いてある古い六畳間の窓の外から、ガラスに顔をちかづけて、こっちを
見ている女と視線がばったり会ってしまった。女は細面の青白い顔で髪が長く、そして口の
まわりと首のまわりにベッタリ血がついていた。おれは体が凍りつき、頭のなかが一瞬
まっ白になったが、気がついたときには女の顔は消えていた。あわてて窓をあけて表を見たが、
女の姿も、足跡もなかった。

続く