[血雪]
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おれは迷った挙句、駐在所に電話をいれる事にした。親子そろって頭がおかしく
なったんじゃないかと言われそうでためらったのだけど、おれが見たのが幻や
幽霊であったとしても、見たことは事実なのだ。
受話器のむこうで何度か呼出し音がしたあと、聞きなれた声の警官が出た。
おれが自分の名を告げると、警官は開口一番、「なんだ、また出たってのか?」と
言ったので、おれは気おくれして、親父はまだそこにいるんですか、とだけ聞いた。
親父はもう30分くらい前に駐在所を出た、との事だった。
おれは母ちゃんと、親父の帰りを待った。30分前に出てるなら、もう着いていても
いいころだ。だけど親父はなかなか帰ってこなかった。おれは母ちゃんと二人で、
冷めた朝飯を食いながら、親父はまっすぐビニールハウスを見にいったんだろう、
と話した。だけど、昼過ぎになっても戻ってこないので、おれはビニールハウスに親父をさがしに行った。
例の橋まできたとき、やや新い足跡がひとり分、橋のうえに続いているのが
見えた。その足跡を目で追うと、それは橋の途中の、例の女がうずくまって
いたと言うあたりまで続き、そこで消えていた。その欄干の上の雪は半分ほど
欠けていた。おれは欄干に近寄り、そこから川面を見下ろした。
まっ白な雪の土手にはさまれた川の、膝くらいまでしかない流水のなかに、
黒いジャンパー姿の長靴をはいた男がうつぶせに倒れていた。おれは土手を走り降り、
川に入っていった。うつぶせに倒れている男は、親父だった。
おれは必死に親父を土手にひきずり上げたけれど、すでに脈も呼吸も止まっていた。
降りしきる雪の中を見あげると、川の対岸に、髪の長い、コート姿の女が、口、首、胸の
まわりを血で真っ赤に染めて、立っていた。
女はすぐに、雪のなかに消えた。
おれは母ちゃんと二人、まだこの家に住んでいるが、あれ以来、雪の降る日は
一歩も外に出なくなった。