[逆さの樵面]
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90年配の高齢と思しき老人は、自分が樵面を外すと言いました。
人に外せないなら、人ならぬものが外せばいいと。
再び土谷家へ出向いた一堂は、ことの次第を姑に話しました。
老人の手を握り、承知した姑は奥座敷に案内しました。
襖を開け、再び樵面にまみえた父たちは怖気づきましたが、控えの
間から白い人影が現われたとき、えもいわれぬ安堵感に包まれたと
言います。
山姫の面に格衣、そして白い布を羽織った老人が静々と歩みよって
来たのです。
そして神歌とともに舞いながら、ゆっくりと座敷の内側に入り込んで
行きました。
息を呑む父たちの前で、不思議な光景が繰り広げられていました。
暗い座敷の中で白い人ならぬものが舞っているのです。
太夫の一人が叩く神楽太鼓の響きの中、山姫はひと時も止まること
なく足を運び、円を描きながらも奥の柱の樵面へ近づいていきました。
山姫の手が樵面へ触れるや否や、面の両目を打っていた釘がぼろぼろ
と崩れ落ちました。
100年以上も経っているため、腐っていたからでしょうが、父には
そう思えませんでした。
この襖の向こう側は人の領域ではないのだから、何が起こっても不思
議ではないと、素直にそう思えたのです。
ちょうど舞が終わるころ、黒い樵面を携えて山姫が座敷から出てきま
した。
「もう舞うことはないと思っていた」
森本弘明老人はそう言って山姫の面を外しました。
『山姫の舞』『火荒神の舞』『萩の舞』
三舞復活縁起のまさにその人が、最後の『樵の舞』の面を取り戻した
のです。
父は得体の知れない感情に胸を打たれて、むせび泣いたそうです。
その後、樵面は土谷家ゆかりの神社に祭られることになりました。
演目としては催されることはありませんが、『樵の舞』は土谷家に
密かに伝わっていたため、これで失われていた4つの舞が蘇った
わけです。
のちに父は機会があり、森本老人に舞太夫としての心得を聞きました。
森本老人は「素面にあっては人として神に向かい、面を着けては
神として人に向かうこと」とだけ教えました。
神そのものに心身が合一すると、はじめて見えてくるものがある。
そう言って笑うのです。
千羽神楽の中で樵は山姫と恋仲にあることが、演目のなかに見えて
きます。
しかし山姫などのいくつかの演目は、いにしえの土谷流と日野流では
まったく違うものであったといいます。
現在の土谷家に伝わっていたのは『樵の舞』だけであったため、
『山姫の舞』などは日野流と面を同じくこそすれ、一体どんな演目
であったのか皆目わからないのです。
続く