[逆さの樵面]
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しかし、森本老人はあの樵面を取り戻した舞の中で、山姫は樵を
愛していることが分かったと言います。
「きっと、いにしえの舞でも、山姫と樵は恋仲にあったのだろう」
だからこそ、樵面をあの座敷から出すことができたのではないか、と。
その言葉に父は頷きました。

神楽とは、一方的に与え、一方的に奪う、荒ぶる神との交信の手段
なのだと私は思います。
神を饗待し、褒め、時には貶し、集落で生きる弱き者の思いを伝え、
またその神の意思を知るために神楽が舞われるのだと思います。
「神」を「自然」と置き換えてもかまいません。
日本の神様は怒りっぽいということを聞いたことがあります。
しかし荒々しい怒りとともに、たいていその怒りを鎮める方法も同時
に存在するものです。
たぶん、陰々と千羽を呪い続けた樵面にとって、あの森本老人の山姫
の舞がそうであったように。

その出来事のあと、私が生まれる数年前に森本老人の家の戸口に影
が立っているのを多くの人が見たそうです。
あの樵面の呪いにより、いわれ無き死人が出るという影です。
しかしその日は、1世紀にわたって生きた舞太夫の、大往生の日だっ
たということです。

(終わり)


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