[赤い仏像]
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『痛っ!』
痛みを感じ布団を捲り足に目をやる。
歯形だ。
『あ〜、それな。なんか咬まれてたみたいだから薬を塗っといた。なぁに傷は深くはない。剥き出しですまんが、あいにく包帯は切れとってな』
夢では無いようだ。
『ご迷惑お掛けしたみたいですみません。介抱して頂きありがとうございます』
『何か欲しいものない?』
『水を』と答えるとおばさんは台所へ向かった。
『しっかしお前さん、いったい何があったね?』
住職の問いに答えようとすると、またあの不気味なひゃひゃひゃという笑い声が聴こえた。
『“見た”んじゃろ?』
お婆さんはニタリと笑った。
『お婆さんはアレが何か知ってるんですね?』
『アレが例の魔物ですか?』
お婆さんは静かにだが深く頷いた。
『その足の鋸のような歯形は間違いない。ヒトアラズの仕業じゃ』
『ヒトアラズって言うとあのヒトアラズか?』
住職が口を挟む。
『ほうじゃ間違いない』
『そのヒトアラズって言うのは?』
『訊きたいか?』
ニタリと笑う。
俺はゴクリと喉を鳴らし頷いた。
婆さんは人形を寝かせた。
『昔昔の話じゃ。ある日『ハイどうぞ』
間が悪い。
お婆さんが話し始めたその時におばさんが水を差し出した。
『あ、ありがとうございます』
『ごゆっくりね』
おばさんは部屋を後にした。
気を取り直し再び話を訊く。
『昔昔の話じゃ。ある日集落に不気味な牛の子が生まれた。その牛の子、なんと人の形赤子の姿をしとった』
『人々はこれは禍の前触れじゃと牛の子をバラバラにし埋めてしまった』
『じゃが、それからというもの集落に全く子が出来んようなった。人々は牛の子の呪いじゃとはやし立てた』
『そこで、牛の子を供養する為に犬、猫、狸、兎、蛇、熊、梟、鴉、鷹などなどありとあらゆる獣を七匹ずつ生贄とし、生き血を墓に撒いて飲ませた』
『それから集落は子を授かり呪いは見事に破られた』
『しかし呪いを破ったは良いがこの儀式は新たな厄を呼び寄せた』
『ある集落の農夫がお供え物をしに行った時の事じゃ。シシガコミまで来るとその者はおっ魂消た』
『なんと!牛の子を埋めた場所にはぽっくりと穴が空いておるではないか!驚く農夫の耳に唸り声が届く』
『向き直るとそこには!化け物がおった!』
『走った走った、農夫は息も絶え絶え家に着くと、集落中に化け物の話をして回った』
『じゃがそんな話、だぁれも信じやせん。農夫がうなだれておると今まで聴いた事も無いおぞましい遠吠えが聞こえる』
『集落の人々はびっくらこいて皆家々を飛び出し広場に集うた』
『人々は遠目に獣を見た。魔獣じゃった。獣は己の存在を誇示すると満足したのか森に走って消えた』
『それがヒトアラズじゃ』
『お婆さんの言っていた“面白いもの”ですか?』
なるほど。
人の悪い婆さんだ。
この婆さん、全て知ってて俺をあんな目に遭わせてくれやがったらしい。
『いんや、違う』
予想外です。
なら何が面白いものだったのか?
お婆さんは『紅仏様の側で寝たら面白いものが見れる』と言った。
俺はてっきり眠ったらだと解釈し、“面白いもの”とは夢を指すのだろうと思い込んでいた。
だから昨日も眠ろう眠ろうとしていた。
しかし違った。
寝ると言うのは一晩過ごすと言う意味で、その晩に俺はあの魔物“ヒトアラズ”に遭遇したのだ。
それ以外は覚えがない。
『違う?では“面白いもの”ってなんなんですか?』
『お前は逃げる時に何か見たはずじゃ、何を見たか覚えとらんのか?』
実に素っ頓狂な質問である。
何度も言うように昨日の晩に俺が見たのは“ヒトアラズ”だ。
それは婆さん自身が説明してくれたではないか。
他には何も見て…いや、待てよ。
何か忘れている。
逃げる最中に感じた既視感、俗にデジャヴュと呼ばれるそれを俺は確かに感じた。
そうか!転んだあの時だ!
確かに俺は見た。
フラッシュバックのようにそれを見た。
『思い出したかい?』
『お婆さん、【赤い仏像】に使われた血は何処へ捨てるんですか?』
『牛の子にあげるんじゃよひゃひゃひゃ(笑)』
ビンゴだ。
恐らくはあの場所、俺が突っ伏した時に感じた血の匂いはそれだ。
『ヒトアラズを呼び寄せる時には、必ず人身御供が用意されますよね』
『ほうじゃほうじゃひゃひゃひゃ(笑)』
『それは集落の人間ですね』
『ほうじゃほうじゃひゃひゃひゃ(笑)』
『呪いを成就させるにはそれなりの犠牲が必要じゃ。犠牲を払ってでも遂げたい呪いが在ったとも言えるの』
俺は水をグイと飲み干した。
『お話と介抱、ホントに有難うございました』
『帰るのか?若いの?』
『はいお邪魔しました』