[怪物「結」下]

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私は夜空を仰ぎ、月の光に照らされたビルの影を探す。
この街で一番高い影だ。
そして月がそのビルに半分隠れるような視点を求めて、息を殺しながら自転車をゆ
っくりと進める。
動くものは誰もいない。ほとんどの家が寝静まって明かりも漏れていない。様々な
形の屋根が、黒々とした威容を四方に広げている。
やがて私は背の低い垣根の前に行き着いた。街にぽっかりと開いた穴のような空間。
向こうには銀色の街灯が見える。遮蔽物のない場所を選んで通るのか、風が強くな
った気がする。
公園だ。
私は胸の中に渦巻き始めた言いようのない予感とともに、自転車を入り口にとめ、
スタンドを下ろしてから公園の中に足を踏み入れた。
靴を柔らかく押し返す土の感触。銀色の光に暗く浮かび上がる遊具たち。見上げて
も月はビルに隠れていない。ここではない。けれど今、私の視線の先には、街灯の
下に立つ二つの人影があるのだ。
ごくり、と口の中のわずかな水分を飲み込む。
人影たちも近づいて行く私に明らかに気づいていた。こちらを見つめている複数の
視線を確かに感じる。
風が耳元に唸りを上げて通り過ぎた。
「また来たよ」影の一つが口を開いた。「どうなってるんだ」
ようやくその姿形が見えて来た。眼鏡を掛けた男だ。白いシャツにスラックス。ネ
クタイこそしていないが、サラリーマンのような風貌だった。神経質そうなその顔
は、30歳くらいだろうか。
「こんな時間に、こんな場所に来るんだから、私たちと同じなんでしょうね」
声は若いが、外見は50過ぎのおばさんだった。地味なカーキ色の上着に、スカー
ト。小太りの体型は、不思議と私の心を和ませた。
「あの、あなたたちは、なにを……」
そこまで言って、言葉に詰まる。

「だから、言ってるでしょ。同じだって。あんたも見たんだろ、アノ夢を」
真横から聞こえたその声に驚いて顔をそちらに向ける。
小さな鉄柵の向こうにブランコがひとつだけあり、そこにもう一人の人物が腰掛け
ていた。キィキィと鎖を軋ませながら足で身体を前後に揺すっている。
「あんた、高校生?」
馬鹿にしたような言葉がその口から発せられる。目深にキャップを被っているが、
若い女性であることは、声と服装で分かる。太腿が出たホットパンツにTシャツと
いう、涼しげな格好。あまり上品なようには見えない。
「ま、ここまでたどり着いたってことはタダモノじゃない訳だ」
意味深に笑う。
私の体内の血液が徐々に加熱されていく。
同じなのだ。この人たちは。私と。
彼らは街で起こった怪奇現象と母親殺しの夢の秘密を解いて、ここに集った人間た
ちなのだ。
得体の知れない不吉さと不安感に駆られて動き回った数日間が、絶対的に個人的な
体験だったはずの数日間が、並行する複数の人間の体験と重なっていたということ
に、歓喜と寒気と、そして昂揚を覚えていた。
「あなた、さっきの夢は、どこまで?」
おばさんがこちらを向いて聞いてきた。私はありのままに話す。
「やっぱり」少し残念そう。「みんな同じ所までで目が覚めてるのね」
「も、もういいよ。ここでいつまでも話してたってしょうがないだろ」
眼鏡の男が手を広げて大げさに振った。
「でもねぇ、これ以上はどうやっても探せないのよね」おばさんが頬に手のひらを
当てる。「あんな、月とビルの位置だけじゃ、ある程度にしか場所を絞れないし、
時間経っちゃったから、余計に分かんないのよね」
「こうしてたって、余計分かんなくなるだけじゃないか」
「そうよねえ。取り合えず、近くまで行けばなにか分かるんじゃないかと思ったん
 だけど……」

続く