[怪物 「結」下]
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ツー、ツー、という音が右耳にリフレインする。
私は最後に、言おうとしていた。電話を切られる前に、急いで言おうとしていた。
そのことに愕然とする。
いっしょにきて。
そう言おうとしていたのだ。
頼るもののないこの夜の闇の中を、共に歩く誰かの肩が、欲しかった。
受話器をフックに戻し、電話ボックスを出る。
少し離れた所にある街灯が、瞬きをし始める。消えかけているのか。私は自転車の
ハンドルを握る。
行こう。一人でも、夢の続きを知るために。
自転車は加速する。耳の形に沿って風がくるくると回り、複雑な音の中に私を閉じ
込める。
振り向いても電話ボックスはもう見えなくなった。離れて行くに従って、さっきの
電話が本当にあった出来事なのか分からなくなる。
何度目かの角を曲がり、しばらく進むと道路の真ん中になにかが置かれていること
に気がついた。
速度を緩めて目を凝らすと、それはコーンだった。工事現場によくある、あの円錐
形をしたもの。パイロン、というのだったか。
道路の両側には民家のコンクリート塀が並んでいる。ずっと遠くまで。アスファル
トの上に、ただ場違いに派手な黄色と黒のコーンがひとつ、ぽつんと置かれている
だけだ。当然、向こうには工事の痕跡すらない。誰かのイタズラだろうか。
その横をすり抜けて、さらに進む。
500メートルほど行くとまた道路の真ん中に三角のシルエットが現れた。またコ
ーンだ。
避けて突っ切ると、今度は10秒ほどで次のコーンが出現する。通り過ぎると、ま
たすぐに次のコーンが……
それは奇妙な光景だった。
人影もなく、誰も通らない深夜の住宅街に、何らかの危険があることを示す物が整
然と並んでいるのだ。だが行けども行けどもなにもない。ただコーンだけが道に無
造作に置かれている。
段々と薄気味悪くなって来た。あまり考えないようにして、ホイールの回転だけに
意識を集中しようとする。
だが、その背の高いシルエットを見たときには心構えがなかった分、全身に衝撃が
走った。
今度はコーンではない。細くて長く、頭の部分が丸い。道でよく見るものだが、
それが真夜中の道路の真ん中にある光景は、まるでこの世のものではないような違
和感があった。
『進入禁止』を表す道路標識が、そのコンクリートの土台ごと引っこ抜かれて道路
の上に置かれているのだ。
周囲を見回しても元あったと思しき穴は見つからない。いったい誰が、そしてどこ
から運んで来たというのか。
ゾクゾクする肩を押さえながら、『進入禁止』されているその向こう側へ通り抜ける。
これもポルターガイスト現象なのか?
しかしこれまでに起きた怪現象たちとは、明らかにその性質が異なっている気がす
る。石の雨や、電信柱や並木が引き抜かれた事件、中身をぶちまけられる本棚やビ
ルの奇妙な停電などは、"意図"のようなものを感じさせない、ある意味純粋なイタ
ズラのような印象を受けたが、この道に置かれたコーンや道路標識は、その統一さ
れた意味といい、執拗さといい、何者かの"意図"がほの見えるのである。
く・る・な。
その3音を、私は頭の中で再生する。
ポルターガイスト現象の現れ方が変わった。それが何故なのか分からない。現れ方
が変わったと言うよりも、「ステージが上った」と言うべきなのか。これでは、R
SPK、反復性偶発性念力などという代物ではない。もっと恐ろしいなにか……
私は吐く息に力を込める。目は前方を強く見据える。怖気づいてはいけない。
ビュンビュンと景色は過ぎ去り、放課後に訪れたオレンジの円の中心地である住宅
街へ到着する。結局、道路標識はあれ以降出現しなかった。言わば最後の警告だっ
た訳か。