[怪物「結」下]

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「あの、ボケェ」キャップ女はそう吐き捨てる。「じゃあこ〜んな眉毛の、ゴツイ
奴は?」
またみんなの首だけが左右に振られる。
「アンニャロー」
そう言っておかしげに笑い、「じゃあね」とまた踵を返して歩き出す。
「あ、そうそう。ケーサツ、電話しとくから。逃げといた方がいいよ。わたしたち
 みたいな連中はこんなことに関わると、めんどくさいだろ。いろいろと」
前を向いたまま、高く上げた右手を振って見せた。
その影が公園の出口へ消えて行くのを見届けたあとで、残された私たちは顔を見合
わせた。
「ぼ、僕も帰る。明日は朝から会議なんだ。じゃ、じゃあね」
眼鏡の男が踵を返そうとする。その回転がピタリと止まって、もう一度その顔がこ
ちらに向いた。
「僕は、変なものを、よく見るんだけど、お化けとか、そんなの、だけじゃなくて、
 なんていうかな。その、もう一人のキミが、いるよね」
ドキッとした。秘密を覗かれた気がして。
「それ、きっと悪いものじゃないから。気にしないでいいと思うよ」
じゃあ、と言って彼は去って行った。
「あら、そう言えばあの外人さんの子どもは?」おばさんがキョロキョロと辺りを
見回す。
銀杏の木の影に二つの光が見えた。次の瞬間、太い幹の裏側にスッと隠れる。
「ちょっと。おうちまで送ってあげるから、わたしと一緒に帰りましょう」
おばさんが木の幹に沿って、裏側に回り込む。まるで眼鏡の男が始めにしたような
光景だ。
しかし見つめる私の目の前で、おばさんだけが反対側から出て来る。
女の子の姿はない。
「あら? いない」
狐につままれたような顔で木の裏側を見ようとおばさんが再び回り込もうとする。
女の子が上手に逃げている訳ではない。私の目にもおばさんだけがグルグルと木の
周りを回っているようにしか見えない。

女の子は忽然と消えていた。
「なんだったのかしら」おばさんは立ち止まり首を捻っていたが、気を取り直した
ように私の方を見た。
「わたし、市内で占い師をしてるから、今度会ったららタダで占ってあげるわよ」
そう言ってウインクをしたあと、痛そうに腰をさすりながら公園の出口へ歩いて行
った。
一人残された私は、今までにあった様々な出来事が頭の中に渦を巻いて、軽い混乱
状態に陥っていた。
蛾が、街灯にぶつかって嫌な音を立てる。
色々な言葉が脳裏を駆け巡り、目が回りそうだ。その中でも、ある言葉が重いコン
トラストで視界に覆い被さってくる。
「救えなかった」
それを口にしてみると、ゴミ袋から覗く土気色の顔がフラッシュバックする。そし
て暗い気持ちが、段々と心の奥底に浸透し始める。ゴミ置き場に無造作に捨てるな
んて、死体を隠そうという意思が感じられない。まるで本当のゴミを捨てるような
あっけなさだ。どんな家庭で、どんな母親だったのか知らないけれど、精神鑑定と
やらでひょっとすると罪に問われなくなるのかも知れない。子どもを殺したのに。
いや、直接手を下したのかどうかは分からない。だけど彼女はしかるべき罪に問わ
れるべきだ。
ふつふつとドス黒い感情が胸の内に湧き始める。
いけない。
顔を上げて、深呼吸をする。呼吸の数だけ、視界がクリアになっていく気がする。
また同じ過ちに身を委ねるところだった。
しっかりしないと。もう自分しかいないのだから。
ゆっくりと土を踏みしめ、公園の出口に向かう。そして車止めのそばにとめてあっ
た自転車に跨る。
終わったんだ。全部。
そう呟いて、夜の道を、帰るべき家に向かってハンドルを切った。
雲に隠れたのか、月はもう見えなかった。


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Part200-2
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