[怪物 「承」]
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私は市内の図書館に足を運んだ。始めはどこかでおかしなことが起きてはいないか
と街なかを散策していたが、なにも起きるような気配はないし、そもそも目星もな
く歩き回るのは無駄な労力だと思い至ったのだ。
かわりに、間崎京子が出した謎の答えを探りたかった。答えを見つけたとしても、
なんの意味もないのかも知れないが、要は白旗をあっさりと揚げるにも私のささや
かな自尊心がそれを許してくれないのだった。
図書館に着くと私は必要な資料を片っ端から書棚から引き抜いて来て、テーブル席
に陣を張る。
まず私はオルトロスという怪物を調べた。
こいつだけよく知らない名前だったからだ。
資料によるとオルトロスはケルベロスの弟で、首の二つある犬の姿をしているらし
い。兄は三つ首。弟は二つ首か。その下の弟がいれば首は一つだろうか、と考える。
首が一つの犬だとしたら、それではただの犬だな。
苦笑して図鑑を閉じる。
犬か。スキュラの下半身も犬だったな。
そう思いながら、別の本を開く。スキュラは上半身が女性で、下半身に6体の犬が
生えている挿絵つきで説明されている。
近くにあったヒュドラについての図説も確認した後、ケルベロスの項を開く。
ケルベロスは3つ首の魔犬と紹介されているが、竜の尾を持っているとも書いてあ
った。
なんだ、ケルベロスも2種類以上の生物で構成された合成獣としての要素を持って
いるじゃないか。
いや、しかしヒュドラにはそんな記述はない。
別の本を何冊か開いたが、やはりヒュドラは多頭の蛇という以外に別の生物の要素
を持ってはないようだ。
分からない。共通点はなんだ?
イライラして机をトントンと指先で叩く。向かいの席で参考書を所狭しと広げてい
る学生が睨みつけてくる。反射的に睨み返すと学生は驚いた様子であっさりと目を
逸らす。
勝った。
少し気を良くしてスフィンクスに関する本の頁を開く。
ピラミッドのそばに鎮座している、王の顔にライオンの身体という見慣れた姿では
なく、女性の顔と胸、そしてライオンの胴体に鷲の翼を生やした怪物の挿絵が目に
入った。
(おや?)と思って詳しく説明を読むが、ギリシャ神話に出てくるスフィンクスは
こういうものらしい。例の4本2本3本と移り変わる足の謎かけは、このスフィン
クスがオイディプスに対して問いかけたというエピソードに基づくようだ。
なんとなく子どものころからのイメージで、砂漠を旅する人にあの石でできたスフ
ィンクスが謎かけを挑んで来るように思っていたが、違ったらしい。
そう考えると、おぼろげながら共通点が見えた気がする。
スフィンクス、キマイラ、スキュラ、ヒュドラ、ケルベロス、オルトロスと、すべ
てギリシャ神話に登場することになるのだ。
だがそんな大雑把な共通点が分かったところで、焦点がぼけすぎてなにも見えてこ
ない。
もう一度それぞれの説明を読み返す。
いくつか同じ固有名詞が出てきている。同じ英雄に倒されたのかとも思ったが、ヘ
ラクレスが3匹ほどやっつけているものの、あとは別の英雄の仕事だった。
しかしすぐに別の固有名詞が重複して出てくることに気づく。
『ケルベロスはテュポーンとエキドナの子である』
『キマイラはテュポンとエキドナの娘であり、ペガサスを駆るベレロポンに退治さ
れた』
……etc.
どれも巨人テュポンと下半身が蛇の女の怪物エキドナが作った子どもたちばかりな
のだ。スキュラをその両者の子とするのは異説のようだが、確かにそんな解説をす
る本もあった。だが、スフィンクスの解説で手が止まる。
スフィンクスはテュポンとエキドナの娘とする説もあるが、エキドナが我が子オル
トロスとの間に作った娘であるとする説の方が一般的なようだ。
私は本を閉じ、背中を反らせて図書館の高い天井を見上げた。
そこから導き出される共通点は、こうだ。
『6体の怪物はすべて、エキドナから生まれた』
これが答えだろう、間崎京子。
紙をめくる乾いた音が周囲から響いている。深いもやがかかっていた頭が、ほんの
少しだけクリアになった気がする。
「共通点を探してみてね」とあの時あいつは言った。
そしてその謎掛けの答えからあの女のメッセージが浮かび上がってくる。氷細工の
ような顔の口元がイメージの中で滑らかに動き、私をそれを読み取る。
『エキドナを探せ』
溜息をついた。なんて回りくどいんだ。
あの女に次会った時にはなんとかして殴ってみよう、と思った。
その時、静かだった館内にちょっとした騒ぎが起こった。
立ち上がって駆け寄ると、私がさっきまで本を漁ってた書棚から、大量の本が落下
して床にぶちまけられている。
近くにいたらしいパーマ頭のおばさんが狼狽して、自分じゃない、としきりに訴え
ている。
係りの人間が飛んで来て、本を拾い始めた。
その人の「いい加減にしてくださいよ」という、誰にぶつけていいのか分からない
ようなうんざりした声を、私は確かに耳にした。