[怪物 「承」]
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取り巻きができつつあるというのは本当らしい。この油断ならない女のどこにそん
な魅力があるのか分からない。
「聞きたいことがある。ちょっと出られるか」
なにか意地の悪い軽口でも出そうな気配だったが、意外にも彼女は頷いただけで立
ち上がった。

そしてドアに向かうため踵を返そうとした私の顔の近くで、「やっとデートに誘っ
てくれたわね」と言う。
やっぱり出た。
ムカッとしながら、それを無視してさっさと教室から出る。私たちは非常口の外の
階段まで歩いた。
風が首筋を吹き抜け、空から夏の陽射しが降り注いでくる。他に人はいない。
「で」
間崎京子は手すりに身を寄せて地面を見下ろした後、顔をこちらに向ける。
「知っていることを全部話せ」
「……唐突ね」
さして驚いた様子もなく京子はニコリと笑う。
私はこの女と腹の探り合いをすることの面倒さを考慮して、こちらが知っているこ
とをすべて並べ立てた。
本を買って調べた『ファフロツキーズ』のことまで。
彼女はそれを面白そうに聞きながら、ワザとらしい動きで顎を右手の親指と人差し
指で挟む仕草をする。
「不思議ね」
「それだけか」
この何もかも見通しているような女が、街に起こりつつある異変を察知していない
はずはない。
「不思議ね、と言うだけで満足する人たちのようにはなれないのね。あなたは」
まるで100点を取った子どもを褒めるような口調だった。そうして京子は視線を
逸らし、遠くの街並みに目を向ける。
つられて私も初夏の陽射しを照り返して浮かび上がる建物の屋根やねに目を細める。
「たいしたことじゃないけど、『ファフロツキーズ』ってチャールズ・フォートの
 言い出した言葉じゃないわ。アイバン・T・サンダーソンの命名よ」
京子は街を見下ろしたまま淡々と言った。
「チャールズ・フォートこそ、『ファフロツキーズ』という言葉に振り回された人
 間だったのかも知れない。空から落ちてきた物を、すべて一つの概念にまとめよ
 うというのがどれだけ無謀なことだったか、なんとなく分かるでしょう?」
前から思っていたが、こいつはなんでこんなに偉そうな物言いをするのだろう。
「あなたも一度その『ファフロツキーズ』という言葉を捨てて考えてみたらどうか
 しら」
その問いかけは単純な忠告なのか、それともこの異変の正体を知った上で私に与え
ているヒントなのか。
私は京子の横顔を睨みつける。
「もうすぐチャイムが鳴るね」
京子は手すりから手を離し、私に向き合った。
「クイズ」
「は?」
「クイズを出すからよく聞いてね」
相変わらず唐突だ。思考を読めない。
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何?」
「……人間」
「じゃあ、道行く人にその謎を出して答えられなかった人を食べちゃう怪物は?」
「スフィンクス」
「さすがね。では、そのスフィンクスとキマイラとの共通点は?」
キマイラというのはあれか。ライオンの頭と山羊の身体を持つ怪物のはずだ。片や
ライオンの胴体、片やライオンの頭部を持っている。それが共通点だろうか。
「じゃあ、それらとスキュラの共通点は?」
スキュラ? とっさに姿が浮かばなかったが、なんとか記憶を掘り返すとどうやら
上半身が女で下半身が犬という怪物だったような気がする。

スフィンクス、キマイラ、スキュラの共通点。なんだろう。少し考える。
「……身体が2種類以上の生物で構成された化け物」
「なるほど。じゃあそこにケルベロスを加えると?」
ケルベロスは首が3つある地獄の門番だ。2種類以上の生物がくっついてはいなか
った気がする。
「分からない? じゃあヒュドラも加えてみて」
ヒュドラはヤマタノオロチみたいなやつだったはずだ。ケルベロスのように首が複
数ある。でもスフィンクスやキマイラは首が複数ではない。スキュラは下半身の犬
が何匹かに分かれていたようだが。
「分からないのね。じゃあこれが最後。オルトロスも加えて、すべての共通点を探
 してみてね」
チャイムが鳴った。
その音と同時に京子はスカートを翻し、手の平を振りながら立ち去ろうとした。
「待て。なにを知っている?」
掴もうとした手を、京子は避けなかった。けれどその手は空を切る。まただ。何故
だか分からないが、この女には暴力的な力が通じない。私の意識下に、『それをし
ては負けだ』という強迫観念が働いているのだろうか。
「クソッ」
苛立つ私を冷ややかな目で見つめ、京子は軽く会釈をしてから非常口を出て行った。
怪物たちの共通点だと?
次から次に宿題が増えていく。
がんっ
ドアを蹴る音が思ったより大きく響いた。

その日の放課後。

続く