[怪物 「承」]
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駅前のビルが原因不明の停電に襲われ、その後フロアごとにでたらめな照明の点滅
を繰り返したという事件。
どれも不思議な出来事ばかりだ。
一つ一つを取ると「不思議だね」という言葉で終わってしまい、1ヶ月もすると忘
れられる程度の噂話なのかも知れない。けれどそのどれもが昨日のたった一日で起
こったのだと考えると、薄ら寒くなってくる。
3時間目の休み時間には私も自然な風を装って、クラスメートたちの噂話の輪に入
り込む。
そのグループでは情報通の親から仕入れたらしい噂を興奮気味に話す子が中心にな
っていた。
「そのコンビニが凄かったらしいよ。誰も触ってないのにアイスのボックスのカバ
 ーが開いたり、電気がいきなり消えたり、勝手にシフトが動いたり、なんにもし
 てないのに棚の雑誌がパラパラめくれたりしたらしいよ」
シフトは関係ないだろう、と思いながら聞いていたが、なんだか段々と内容が扇情
的になってきている気がする。どこまでが本当なのか分からない。
昼休みには、いつもよりゆっくりお弁当を食べながら複数のグループのお喋りに耳
を尖らせていた。
「あとさぁ。今日の朝、なんか変な音がしてたんだよね」
そんな言葉にピクリと反応する。
喋ったその子にお箸を向けて、別の子が「あ、あたしの近所も。どっかで朝っぱら
から工事してんのよ。騒音公害よね」と言った。
私の中にインスピレーションが走り、席を立つ。そして校内に一つだけある公衆電
話に早足で向かった。
電話の周囲にはほとんど人がいない。何故か分からないが、あまり目立ちたくなか
ったので好都合だ。
備え付けの電話帳で市役所の番号を探す。

どこが担当なのか分からないので、代表番号に掛けて内容を告げる。内線でお繋ぎ
します、という言葉のあと、保留音をたっぷり聞かされてからようやく電話の相手
が出た。聞きたいことを単刀直入に話す。苛立ったような声が返ってきた。
「あのですね。今、市内でそんな公共工事はやっていません。じゃあ民間企業の騒
 音公害だって言われても、それがどこでやってるのかもわからないじゃ、注意の
 しようもないでしょう? 朝からなんなんですかいったい」
聞きもしないことまで返ってきた。そして電話は切られる。思わず時計を見るが、
12時を回っている。ということは、朝から、とは別の人からの電話のことらしい。
それも1件や2件ではなさそうだ。
分かったことは、市内の恐らく複数の場所で工事をするような音が聞こえていると
いうこと。しかもどこで行われているのか誰にも分からない工事が。
いったい、これはなんだ?
なにかが私たちの周囲で起こりつつあるのに、それがなんなのか未だに分からない。
ただすべてが見えない糸で繋がっていることだけは分かる。
鳴かないスズメ。思い出せない怖い夢。落ちてくる石。引き抜かれる並木。音だけ
の工事。街中で起こった奇妙な出来事。
表面の手触りに騙されてはいけない。本質から眼を逸らしてはいけない。
公衆電話の前で私の心は静かになっていった。
廊下へ向けて歩き出す。
あいつはいるだろうか。
会わなくてはいけない。そして聞かなくては。
すれ違う女子学生たちと、私は同じ服を着ている。彼女たちは教材を抱いている。も
たれるように笑いあっている。パンと牛乳を持って歩いている。私は教室へ急い
でいる。けれどそこには明らかな断絶がある。それは私自身が一方的に作ってしま
った断絶なのかも知れない。でもその断絶を心地よく感じている自分がいる。
同じ噂を聞いているのに、私だけは日常から足を踏み外している。

探ろうとしているのだ。
次に起こることを。そしてどう備えるべきかを。
自嘲気味に笑った瞬間を廊下の向こうから来た女子に見られ、変な顔をされる。見
たことがある子だ。同じ1年生だろうか。また怖がられるな。
案外とウジウジしたことを考えている自分に気づき、軽く頬を張る。
その教室についた時、廊下側の窓際でお喋りをしている数人の女子がいた。
中の一人に遠目から話しかける。
「石川さん、あいつ、今日来てる?」
その子はこちらをチラリと見て人差し指を教室に向ける。私は「ありがとう」と言
って、教室のドアに手をかけた。
自分のクラスではないが、このところココへ来ることが増えつつある気がする。
教室の中はどこにでもあるようなざわざわとした空気が満ちていたが、明らかに異
質な雰囲気が隅の方の一角から漂っている。説明しがたいが、眼に見えない透明な
泡がその辺りを覆っているような感じがする。
このクラスの連中はみんなこれに気づいているのだろうか。
その泡の中心に氷で出来たような笑みを表情に張り付かせた短い髪の女が座ってい
る。
間崎京子という名前だ。
教室に入ってきた私に気づいたのか、周囲にいた数人の子に何事かを告げて席から
離れさせたようだ

続く