[怪物 「承」]

怖い夢を見ていた気がする。
朝の光がやけに騒々しく感じる。
天井を見上げながら、両手を頭の上に挙げて伸びをする。自分が嫌な汗を掻いてい
ることに気づく。
掛け布団を跳ね除けて身体を起こす。
夢の残滓がまだ頭の中に残っている。
現実の眼は閉じられていたのに、視覚情報として記憶に刻み込まれた夢の光景。今
まで不思議だとは思わなかったのに、今日はそれが酷く奇妙なことに思えた。
  夢の中で私は、やけに暗い部屋に一人でいる。
  散らかった壁際に、じっと座ってなにかを待っている。
  やがて外から足音が聞こえて私は動き出す。玄関に立ち、ドアに耳をつけて息
  を殺す。
  足音が下から登ってくる。
  私はその足音が、母親のだと知っている。
  やがてその音がドアの前で止まる。ドンドンドンというドアを叩く振動。
  背伸びをして、チェーンを外す。
  そしてロックをカチリと捻る。
  ドアが開けられ、私はその向こうに立っている人間に話しかけることも、笑い
  かけることも、耳を傾けることもしなかった。
  ただ月だけがその背中越しに冴えている。
  そして血飛沫が舞って、私の視界を真っ赤に染める。
  世界がたったの一つの色になる。
  母親は崩れ落ち、もう呼吸をしなくなる……
「うああ」
ベッドのシーツを握り締めながら、思わずそんな声が出た。自分でも驚いた。それ
は恐怖心を身体の内側から逃がすための自己防衛本能だったのかも知れない。

すぐに冷静になる。
生々しい夢だった。母親とは最近衝突することが多いが、まさか殺してしまう夢を
見るなんて。
これが私の潜在意識の底にある願望なのだろうかと思うと、寒気がしてくる。この
間からずっと見ていた怖い夢は、この夢だったのだろうか?
壁のカレンダーを見る。
木曜日。今日も学校がある。憂鬱だ。
そのころになってようやく窓の外の音に気がついた。遠くで釘を打っているような
音。いや、ハンマーで杭を叩いている音か。どちらにしても耳障りだ。
イライラとしながら服に着替える。母親が起こしに来る前に。
今日もスズメの鳴き声は聞こえない。かわりの朝のリズムが、こんな不快な音だな
んて。
そのせいで、あんな夢を見たのだろうか。
そうだったら、まだいい。
その日の朝の食卓は、気まずかった。

学校へ向かう途中、私はどこで工事をしているのかと思い、音を頼りにキョロキョ
ロとしていたが出処は判然としなかった。やがてその耳障りな音も途絶える。
こんな平日の朝早くから迷惑だな。
その時はまだ、その程度に思っていただけだった。
遅刻寸前で教室に滑り込んだ直後のホームルーム中、先生が意外なことを言った。
「昨日は変な一日だったなぁ。新聞見たか。あれ、近所なんだよ」
石の雨のことだ。
そう思ったけれど、そのすぐ後に先生はボソリと言った。
「木がなあ……」

木?
首を傾げていると、さっさと話題を切り上げて先生は教室を出て行った。
1時間目が始まる前に出来るだけ情報収集する。いつもはあまりクラスメートと会
話をしない私だが、なりふり構っていられない気分だった。
すぐにさっき先生が言っていたのが昨日の夕刊ではなく、今日の朝刊だったことが
分かる。
しまった。読んでいなかった。母親に怒られてでも食べながら読めば良かった。
話を総合するに、どうやらこんなことがあったらしい。
昨日の夜9時過ぎ、市内の住宅地の道路沿いの並木が15メートルに渡って何者か
に掘り返され、根っこごと引っこ抜かれてその場に転がされているのを通りがかっ
た住民によって発見された。付近の住民によると、夜9時前には間違いなく並木は
いつも通り揃っていたらしい。わずか数十分で6本もの成木を土から引っこ抜くと
なると、重機でもなければ不可能だろう。それが、周辺住民の誰もそんな騒動に気
づかなかったというのだ。
いったい誰が? という疑問とともに、どうやって? という点も大きい。
そして何故?
けれど私がもっと驚いたのは次の休み時間だった。
チャイムが鳴った後、教室中で交換される情報に耳をそばだてていた私は、この街
で昨日起こったことが石の雨や、並木の事件だけではなかったことを知った。
市民図書館の本棚の一つから、収められていた本がいきなりすべて飛び出して床中
に散乱した事件。
天井からぶらさがったガソリンスタンドの給油ホースが風もないのに大揺れをして、
1時間近く給油できなかった事件。
アーケード内の大時計の短針と長針が何もしていないのにぐるぐると高速で回り続
けた事件。

続く