[要因]
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 教室に着くと俺は鍵を開け、扉を開けた。すると、中から風が吹き抜けてきた。
 教室の窓が開いている。前から2つめの、田中が死んだときに開いていた窓が、全開に。
 真正面に見える夕日に照らされた教室内に……田中がいた。
 以前とまったく変わらない風貌で、こっちに向かって立っている。そして、
「藤村君」
 俺の名前を呼んだ。
 田中だ。逆光で表情が見づらいが、やっぱり田中だ。
 涙が出そうになった。
 今日学校に来てよかった。
 嬉しくてたまらない。

 ……でも、涙が出ない。この間、あれほど流した涙が出ない。
 足も前に出ない。気持ちは猛烈に喜んでいるのに、その奥にある感覚が俺の
気持ちを行動につなげない。
 なにかが変だ。なにかが。
 ……なにが?
 なんで、なんで田中は、俺の名前を呼ぶばかりで、こっちに来ないんだ?
 なんで田中は、鍵のかかった教室内にいたんだ?
 なんで田中は、裸足なんだ?
 なんで、なんで……。
「田中っ」
と、叫びたい気持ちとは裏腹に、我知らず、俺は言った。
「お前、誰だ?」
 表情は、依然逆光で見づらい。が、口元だけはかすかにうかがい知ることができた。

 薄く笑っていた。
 俺は固まった。
 そんな俺を尻目に、田中はきびすを返すと、軽やかに窓枠を飛び越え、全開
の窓から下へ、一瞬で俺の視界から消えた。
 落ちた。
 我に返った俺は、あわてて窓へ駆け寄った。そうして下を覗きこもうとした。
田中は2回死ぬことになるのか、と思いながら。
 しかし、はたと足を止めた。なにか、「あの」田中が飛び越えた窓には近づ
きたくなかった。そこで俺は、右隣の、教室の1番前の窓を開け、そこから身
を乗り出し、下を覗きこんだ。
 瞬間、顔のすぐ左横を、なにかが下へ通り過ぎていった。それがなにかは、
すぐにはわからなかった。
 直後、真下の献花台に叩きつけられた自転車が、凄まじい音とともにバラバ
ラに砕け散った。薄暮の中、遠目にではあるが、それが俺の自転車であること
がはっきりとわかった。

「ちっ」
と、舌打ちする音。
 音のしたほう、左斜め上を見上げてみると、校舎の壁面にヤモリのように逆
さまに四つ足でへばりついている田中がそこにいた。今度は夕日に照らされて
よく見えたその顔は、やはり薄く笑っていた。
 その後体勢を変え、ささっと屋上へ消えていった。
 けけけっと笑う声が聞こえた気がした。

 一応事情はすべて先生や警察に説明したが、誰も信じてくれなかった。しま
いには俺が犯人では、などと言い出す奴も出始めたので、それ以降は口にする
のをやめた。
 結局あれがなんだったのか、いまだにわからないでいる。


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