[和解]
前頁
高速を降りて国道を暫く行くと、アリサの実家の在る街に入った。 
地図によれば、もう町内に入っている。 
俺は、実家の詳しい位置を聞こうとアリサの方を見た。 
アリサは酷い脂汗をかいており、浅く激しい呼吸で苦しそうだった。 
その頃の俺はPTSDという言葉は知らなかったが、アリサの症状はまさにそれだったのだろう。 
俺はダッシュボードからビニール袋を出し、アリサにその中に呼吸させた。 
過呼吸の応急措置だ。 
呼吸が落ち着いたアリサは、震える手で俺の腕を掴み「行きたくないよぉ」と言った。 
「それじゃ、とりあえず俺が一人で行ってみるから、アリサは車の中で待ってて」 
車を止めたコンビニのレジで道を聞き、買ってきた飲み物をアリサに渡した。 
俺が「行って来る」と言うと、アリサは俺の手を握って「早く帰ってきて」といった。 
アリサの実家は簡単に見つかった。 
同じような大きめの民家の並ぶ通りの一角に星野家はあった。 
インターホンを鳴らしたが中から応答はない。 
留守か? 
もう一度、ボタンを押していると近所の主婦らしい中年女性に声を掛けられた。 
「星野さんに御用ですか?」 
「はい。でもお留守みたいで。お帰りになられる時間とかわかりますか?」 
「星野さんの奥さんは入院中だし、お兄ちゃんは出て行っちゃったし・・・だれも居ませんよ」 
星野家は、近所でも余り評判の良くない一家だったらしい。 
アリサの祖母が亡くなってからは、引き篭もりだった兄の家庭内暴力は近所でも噂の種だったそうだ。 
アリサの兄は、母が倒れてからすぐに家を出たようだ。 
アリサの母は、倒れてからもう半年近く入院したままなのだという。 
俺は主婦にアリサの母の入院先を聞くと、車に戻り「お母さんは今入院中だって。お兄さんはお母さんが入院してすぐ家を出たらしい。 
お兄さんは居ないから大丈夫。病院へ向かうよ?」 
アリサは見るからに嫌そうだったが、俺は構わずにアリサの母が入院している病院へ車を走らせた。 
入院先は隣の県の大きな病院だった。 
病院に着いた時には面会時間は過ぎていたので、近くのホテルに泊まって、翌日面会に行った。 
病室は8床程の部屋で、同室は3人程か? 
アリサの母は一番奥の窓側のベッドらしい。 
カーテンを開け中を覗くと点滴のチューブが繋がったやせ細った「老婆」が寝ていた。 
いや、還暦前の年齢だから老婆というのは正確ではないが、痩せ細り血色の悪い、妙に黄色い肌は老人のそれだ。 
だが、見ただけで先日の「生霊」の主なのは判った。 
左目に特徴的な泣き黒子もある。 
そして、もうあまり先は長くない事は誰の目にも明らかだった。 
ベッドの前でアリサの母を見下ろしていると、ガッチリとした体格の初老の男が声を掛けて来た。 
「お見舞いの方ですか?どういったご関係で?」 
アリサが「娘です」と答えると、男は顔を引きつらせて絶句した。 
人の気配のせいだろうか? 
アリサの母親が目を覚ました。 
目の前の状況が飲み込めないのであろうか? 
呆けたような顔をしてアリサの顔を見つめる。 
アリサが固い声で「お母さん分かる?私よ」と言うと母親はぶわっと涙を流しながら、ウンウンとうなずいた。 
男が俺に「少し席を外しましょうか?」と言うので「じゃあ、私も」と言って男の後についていった。 
屋上に上がって並んでベンチに腰掛けた。 
俺は男に「失礼ですが、どういったご関係の方ですか?」と尋ねると、 
「昔、彼女の夫だった男です」 
「えっ?アリサの・・・」 
「兄の父親です。あの子が出来て、すぐに別れたのであの子に会うのは初めてですけどね。・・・話は聞いていたけど、驚きました」