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「何にも起きない。本当につまんない只の石なんだ。あれだけの数の人間を呼び寄せ、魂を喰らっていた悪意の塊だったのに、僕の前じゃ単なる石にしか過ぎなかった。」
その辺は僕の類稀な特異体質の勝利だと喜ぶべきなんだろうけどね、と笑う師匠に軌道修正の意も込めて尋ねた。

「で?結局その石がどうマズくなっていったんです?」
「あぁ、腹が立って叩き割ろうかと思ったけど、高く買い取ってくれる知り合いを思い出してやめた。それで、もっと身の近くにその石を置こうと思ったんだ。」

また頭の中で?が交差し始める。
「近くって、部屋に持ち帰ったんでしょ?それ以上どうやって石を近くに置くんです?」

そりゃ当然だろ、と言いたげに師匠は答える。「だから取り込んだんだよ。体内に。」

「は?」
思いのままを口にすると、
「だから、具体的に言うと喰った。」


最早言葉も無かった。数秒の後、「バカかアンタは!?」と言いたい衝動に駆られたが何とか堪え、次の言葉を待った。

「流石にマズかったみたいだね。余り記憶が無いんだ。途中何度か目覚めたが、無理矢理夢の中に引きずり戻される感じ。気付いた時にはその自殺の名所にいたよ。」

寒さによるものとは違う鳥肌が立つ。

「そこで意識のある内に夢中で石を吐き出した。あの時ばかりは心底焦っていたよ。なにしろこの僕が手も足も出ない。
やっぱり体内から直接働きかけられると、僕の自己防衛能力もほぼ無に等しくなるらしい。」
それでも豹意にほぼ近い体験をできたのは貴重だな。と落ち着いた様子で語る師匠からは無邪気ささえ感じた。

「それで吐き出した石を眺めてたら、どうも前とは様子が違うんだ、まず色が。赤いんだよ、いや血とかじゃなく石そのものが赤くなってた。」赤ってのは危険を象徴する色だよね?
教師の様な口調で付け加え、師匠は続けた。

「そして5感意外の部分で感じる印象、毒々しさ凶々しさ、より強力な信号を発しているのが手にとる様に分かる。僕の中の何かを吸い、ソイツは確実に力を増した。
言わば僕の中の一部がソイツに宿ったんだろうな。だからソイツは僕の子供と呼ぶべきだろ?」ふいに師匠が立ち止まる。

どうやら目的の場所に着いたらしかった。随分と歩いた。最早虫の鳴き声すらしない

…最早?
森の手前だとか奥だとかに虫の鳴き声は関係するのか?むしろ奥の方が虫は多いのではないだうか。
妙な違和感を感じながら師匠が照らす先に視線をやる。

「あそこに埋めて逃げ帰ったんだよ。もっとしっかりと結界めいた仕掛けをして隔離するべきだったんだけど、その時の僕にはあの石を間近にして自分を制御する自信が無かった。」でもこうしてまた来る事になるなんてね。
少し盛り上がった土の上を照らしながら言う師匠が、薄ら笑いを浮かべている気がした。

言わばそこは小さな広場の様になっていた。それを囲む様にして立ち並ぶ無数の木。その太い枝の真下で絶命していく人々が、脳裏に鮮明に浮かびそうになり少し頭を振る。


それにしても…また違和感に襲われる。
自分でも恐れる程の存在の近くに、俺というちっぽけな小動物的存在を連れて来るなんて。
あまりに危険では無いのか?いくら師匠でもらしくないなぁ、と膨らむ違和感をぶつけようと師匠の方に向き合った

途端、背筋が凍った。


師匠がいない。


!!?

戦慄が走る。
隠れたとかじゃない。俺は師匠に向き合う直前まで、確かに師匠が照らしていた森の広場を見ていた。
しかし師匠の姿は何処にも無い。

そして
懐中電灯は俺が握っていた。

その事に気付いた瞬間足の力が抜けた。声も出せない。得体の知れない恐怖が全身を駆け巡る。
続く