[引っ張る]
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次の瞬間には師匠が勾玉を埋めたと言った盛り上がった土の前で正座していた。
「いつの間に!?」
俺の思考など無視して視界は断片的に移り変わる。
大きな木の真下。コンビニの袋、買った覚えの無いロープ。
余りにも無力だった。一瞬一瞬、極短い時間だったが、俺に全てを諦めさせるには充分だった。
そして最後に写ったのは師匠の顔だった。
…あれ?
停止していた思考が再開される。
何やらしきりに叫びながら俺の頬を張っている様だ。まだ声は聞こえない。やがて背中に
ドン
と鈍い衝撃が走った後、目の前の世界が鮮明になる。
正に「点」で表せる様な目をしていたであろう俺に
「帰るぞ。」
と師匠は吐き捨てる様に言った。
「逃げ帰る」
という状況は、正にこの事を指すのだろう。俺は殆ど師匠に覆い被さる様にして、言う事を聞かない両足を死に物狂いで前に進めた。
「絶対に振返るな。」
なんて言わないで黙々と俺を運んでくれた師匠は冷静だったと思う。
あの時そんな事を言われていたら俺は確実に振返っていたし、気が狂っていたかもしれない。
ようやく師匠の車に辿り着き、麓に向けて発進したが、まだ二人共一言も言葉を発しないでいた。
只はあ、はあ、という荒い息遣いだけが車内に響く。
暫くして師匠が何やらブツブツと呟きだした。早めに…に相談するべきだった。とか、やっぱりあんなやり方じゃ…ちくしょう。とか
よく聞き取れなかったのだが、こうなった事を悔やんでいる様子だった。
数多の疑問が思考から溢れ出そうだったが、その時は「ありがとうございました…」と言うのが精一杯だった。
ここからは後から聞いた師匠談
「びっくりしたよ、トイレから出たら居ないんだぜ?んで、失礼な奴だなーと外を覗いたら僕の車まで無いじゃないか。一瞬混乱したけど、すぐにあの場所を思い着いたよ。つい先日僕も君とほぼ同じ様な体験をしたんだ。慌てて近くの知り合いに原付借りてブッ飛ばしたんだぜ?」
「え?じゃ、あの話は本当なんですか?」
驚いて師匠に問い掛けると彼は眉をひそめた。
俺があの夜行動を共にした擬似師匠から聞いた話を聞かせると、師匠は納得した様子で頷く。
「記憶まで受け継ぐなんて…」やっぱり僕の子供じゃないか、とニヤついていた。
そうして事が収まるまで師匠の部屋からの外出禁止を命じられ、俺は選択の余地無く従った。
師匠は部屋の角に塩を盛り、信頼しているというその筋の知り合いに連絡し、もういっそ彼に全部任せとこう。と笑いながら布団を敷くのであった。
そしてその夜、師匠は思い出した様に
「あっ。」
と声を上げた。
「借りた原付そのままじゃん。」
今から取りに行かなきゃね。と笑う師匠が冗談なのか本気なのか、確かめるのも嫌だったので
そうですね。とだけ答えて
俺は静かに目を瞑じた。