[鋏]
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自分という観察者のいない場所では、誰も《ありえないこと》など保証してくれな
いからだ。
最後の矢印が見えた。二股にわかれた木の根元。
俺は深呼吸をして、お尻のポケットに差し込んだ愛用のハサミをジーンズ越しに確認
する。
懐中電灯の明かりに、一瞬人影が見えた気がした。
ドキっとしたがもう一度ゆっくりと照らして見ると、地蔵らしき黒い頭が闇に浮かび
上がってきた。
ひとりで来なければいけないということは、他人に見られてはいけないということだ。
そしてそこで行われる刃物を使った呪い……
丑の刻参りと構造が似ている。
女子高生がするようなおまじないとは、少し毛色が違う。
今更そんなことを思ったが、足が動かなくなりそうだったので脳裏から振り払う。
周囲を観察し、少し斜面になった部分を下るものの崖ではないことを確認する。ゆ
っくりと、藪が途切れた場所から回りこむと、山中に異様とも思える方形の人工の
空間が現れた。
雑草が生い茂っているとはいえ、踏み固められた赤土の地表がぽっかりと目の前に
ある。
リィリィという虫の音が聞こえるなかをゆっくりと進むと、斜面に沿うようにひっそ
りと立つ影が視線の端に入った。
懐中電灯のスイッチを切り、深呼吸をする。
やっぱり帰ろうと思う。
心臓の音を聞く。
目を閉じる。
覚悟する。
何歩か靴の裏を引きずるように進むと、懐中電灯をポケットに無理やりねじ込んで
両手を恐る恐る前に突き出す。
急に空気がねとつくように感じられ、息苦しくなる。
あのコーヒーショップで覚えた嫌な感じを思いだすまいとして、まさにそのせいで
思い出してしまう。
あれは霊なんかとは違う、もっとわからないものなのだと思う。その根源に今、近
づきつつあった。
足が止まりそうになったところで、左手が硬いものに触った。
内臓のあたりに嫌な感じがズーンと落ちてくる。
それでも両手で、胸の前にある石のざらついた感触を確かめる。
これが左端の地蔵の頭のはずだった。
赤ちゃんの頭くらいの大きさだ。
なにか別の恐怖心がもたげてくるような気がして、すぐに手を離す。
次の地蔵までは3歩と離れていない。
爪先が地蔵の胴体らしきものに当たり、手探りをするとさっきと同じざらついた手触
りが手のひらに入ってきた。
次だ。
もう、余計なことを考えないようにして目を閉じたまま次の場所へ手を伸ばす。
ひんやりしたものに指先が触れた。
なにか変だ。
なにも変なところがない。
目を開けたい衝動に駆られる。苔むしているのではなかったのだろうか?
髪の毛なんて生えていない。
そう思ったとき、右半身がなにかの気配を捉えた。目を閉じていてもわかる。たぶん、
かすかな風の流れでそう感じるのだろう。
数がおかしくないか、という疑念を封じ込めてソロソロとさらに右側に手を伸ばした。
続く