[鋏]
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俺はオレンジジュースを、音響はパインジュースを注文して横並びの席に着くと、
ひと時のあいだ沈黙が降りてガラス越しに見える夜の街に暫し目を向けていた。
やがて紙が裁たれるようなかすかな音が聞こえた気がして、店内に視線を移す。す
ると音響が前を向いたまま手元の紙で出来たコースターをまるで無意識のように
裂いている。
俺の不可解な視線に気がついてか、彼女は手を止めて切れ端のひとつを指で弾い
て見せる。
「学校の近くの山に、鋏様ってカミサマがいてね。藪の中に隠れてて、知ってな
 きゃ絶対見つかんないようなトコなんだけど。見た目は普通の古いお地蔵様で、
 同じようなのが3つ横に並んでる。でもその中のひとつが鋏様。どれが鋏様か
 は夜に1人で行かないとわからない」
スラスラと喋っているようで、その声には緊張感が潜んでいる。俺は少し彼女を
止めて、「なに? それは学校で流行ってる何かなの」と問うと、「そう」とい
う答えが返ってきた。
「その鋏様に、自分が普段使ってるハサミを供えて、名前を3回唱える。すると
 近いうちにその名前を唱えられたコが髪を切ることになる」
おまじないの類か。
女子高生らしいといえば女子高生らしい。
「その髪を切るってのは、やっぱり失恋の暗喩?」
「そう。ようするに自分の好きな男子にモーションかけてる女を振られるように
 仕向ける呪い。すでに出来上がってるカップルにも効く」
そう言いながら自分の前髪を人差し指と中指で挟む真似をする。
陰湿だ。
思ったままを口にすると、黒魔術サークルのオフ会に来てる男には言われたくない
と冷静に逆襲された。
「で、その鋏様のせいでなにか困ったことが起こったわけだ?」

音響はパインジュースにようやく口をつけ、少し考え込むそぶりを見せた。その横
顔には、年齢相応の戸惑いと冷たく大人びた表情が入り混じっている。
「うちのクラスで何人かそんなコトをしてるって話を聞いて、試してみた」
「自分のハサミで?」
「赤いやつ。小学校から使ってる。夜中にひとりで山にあがって、草を掻き分けて
 るとお地蔵さんの頭が見えて、それから目をつぶって鋏様を探した」
「目を閉じないと見つからない?」
「開けてると、わからない。全部同じに見える」
「真ん中とか、右端とか、先におまじないしてる子に聞けないのか」
「聞けない」
「秘密を教えたら呪いが効かなくなるとか?」
「そう」
「目を閉じてどうやって探す?」
「手探りで、触る」
「触って分かるもんなの?」
「髪の毛が生えてる」
音響がその言葉を発した途端、再び紙の繊維が裁断される音が俺の耳に届いた。
ぞくりとして身を起こす。
いつのまにか黒い長袖の裾から細い指が伸びて、俺のコースターを静かに引き裂
いている。
いつ、グラスを持ち上げられたのかも分からなかった。
恐る恐る、「今、自分がしてることがわかってる?」と聞くと、
「わかってる」
と少し苛立ったような声が返ってきた。
俺はあえてそれ以上追及せず、代わりに「髪の毛って、苔かなにか?」と問いか
けた。

続く