[鋏]
前頁

とりあえず男子トイレで用をたして出てくると、驚いたことにさっきの少女が正
面で待っていた。
「ちょっといい?」
という言葉に戸惑いながらも「え? なにが」と返したが、その聞き覚えのある
声にようやく記憶が呼び覚まされた。
「音響とかいったっけ」
2年くらい前に、若い子ばかりが集まったオカルトフォーラムのオフ会で俺に
「黒い手」という恐ろしいものを押し付けてきた少女だ。
「今のハンドルはキョーコ」
人差し指を空中で躍らせながらそう言う。
響子。
確かにスレッドに参加していたと思しき連中から、さっきそう呼ばれていた気がす
る。しかし俺にとってその響きは、なんだか不吉な予感のする音だった。
「てことは本名が音ナントカ響子なわけか。音田とか音無とか」
余計な詮索だったらしい。不機嫌そうな眉の形に、俺は思わず口を閉ざした。
「ちょっと困ったことがあって……助けて欲しいんだけど」
「は? 俺が?」
音響(たとえ頭の中でもキョーコという単語を出したくない気分だった)は、オフ
会の集団のいる席の方へ顔を向けながらバカにしたような口調で言った。
「あんな連中、てんでレベルが低くて」
それはまあ、そうだろうけれど。
同意しつつも、ではなぜ俺に? という疑問がわいた。
すると彼女は「黒い手はホンモノだった」と言った。
そして、「アレから逃げ切ったらしいと聞いて、ずっと気になっていた」と言うのだ。

俺は思わず「いやあれは俺の師匠に助けてもらっただけ」とバラしそうになったが、
恥ずべきことに実際に口に出したのは「まあ、あれくらい」という言葉だった。
その虚勢は、彼女がやはりかわらしい容姿をしていたことに起因していることは
間違いが無いところだ。
「出て話さない?」
と言うので、頷く。
さっきから、オフ会の連中の視線を肌にザラザラ感じ始めていたのだ。トイレ前で
話し込んでいるツーショットをこれ以上さらしておく気にはなれない。
男どもの敵意に満ちた視線をかい潜って、レジで清算をする。音響をちらりと見
ると、俺に払わせる気満々のようだったが、無視して自分の分だけ払った。
みかっちさんの意味のわからないサムアップに見送られて店を出ると、いきなり
行き先に困った。
近くに公園があるが、なんだかいやらしい感じだ。
「居酒屋とかでもいいか」と聞くと、音響は首をヨコに振り、
「未成年」
と言った。
18、19は成人擬制だと無責任なことを俺が口にすると、驚いたことに彼女は
自分を指差して、
「16」
と言うのである。
俺は思わず逆算する。
「あの時は中3、今は高2」と先回りして答えてくれた。
黒い手は学校の先輩にもらったと言ってなかったっけ、と思うやいなや、また先
回りされた。
「中高一貫」
ずいぶんカンのいいやつだと思いながら、近くのコーヒーショップに入った。

続く