[水恐怖症]
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俺は大笑いした。 
どうやら、自己中なこの男にも罪の意識は人並みにあるらしい。 
だって幽霊が本当にいるなら死んだ直後から出るんじゃないか? 
そう言うとSも笑った。 
「じゃあ、お前怖くないよな。実はそこに今も居るんだ。」 
そこ、と指差したのはSから少し離れた水際だった。 
もちろん俺は怖くない。 
「ここか?」 
立ち上がって、その場所に立った。 
Sも立ち上がって隠れるように俺の背後に立った。 
「なんだよ、怖いのかよ。」 
普段からは考えられない脅えようが可笑しかった。 
「あの女、目が悪かったんだ。コンタクト無しじゃロクに見えないくらい。」 
Sがボソボソと俺の耳元で呟く。 
ドン、と背中を押されて俺は沼に落ちた。 
落ちたといっても、岸と沼の高低差は30センチも無い。 
くわえて、沼は浅くて尻餅をついた俺の臍までしか水は無い。 
「ふざけんなよっ!」 
立ち上がって岸に上がろうとしたとき、何かに足が絡まった。 
藻かゴミかと振りほどこうとしたけれど、足が上がらない。 
Sは引き攣った笑いを顔に貼り付けていた。 
「悪いな。」 
足に絡まったモノは脛を這い上がってきた。 
目をやると、ブクブクに膨れた手が月明かりに照らされて異様にハッキリと見えた。 
本当にテンパッた状態だと悲鳴も出ない。 
手が伸びて腿を這い上がり、腰に届いた時に水から頭が覗いた。 
生前の彼女を見たことがあったけれど、面影は何一つ残っていない。 
腰に抱きついて俺を水の中に引きずり込もうとする。 
助けを求めようと岸を見ると、Sの姿は無かった。 
エンジンの音が遠ざかっていった。 
女は完全に俺に覆いかぶさった。 
死ぬ。殺される。 
そう思ったとき、ふいに身体が軽くなった。 
耳元で声が聞こえた。 
「また置いていくのね。」 
息がかかるくらい近いけれど、空気は動かない。 
「つれてって」 
生臭い匂いがした。