[ごうち]
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その日の夕刻、オオサキ氏、ウエノさん、アキバ、俺、なぜかオオツカ氏、そしてシブヤさん
という70歳くらいの男性がアキバの事務所に集まった。
このシブヤさん、オオサキ氏が連れてきたのだが、新Q地区の古くからの住人である。

オオサキ氏が語りだす。
「まず“ごうち”とはどんな意味であるか、どんな字を書くかですが、一般的に“ごうち”と
読ませるのは“郷地”或いは状況を鑑みて“業地”などが思い浮かびます。
 時間がなかったので詳しく調べたとは言えませんが、私の推測では“児地”だろうと思いま
す。読んでその通り小さな子供を意味します。
 これが訛って“ごうち”となったのでしょう。或いは…可能性としては高いのですが、わざ
と訛らせたのかも知れません」

オオサキ氏はシブヤ氏に「それではお話していただけませんか」と促した。

「みなさんは知っていらっしゃるようだが、あの土地には忌みごとを捨ててきた、で、何でそ
うなったのかと言えば、これは言い伝えだから本当かどうかは分からんが“村八分”ってのを
知ってるでしょう?」

シブヤ氏の話をまとめると、
少なくとも明治より昔、あの地区で村八分を受けた家があった。その折は天災続きで、村八分
を受けた家はとても生きていけなくなった。そこで村人に許しを請うのだが、村八分というの
はされた側に問題がある。それなら、心を入れ替えた誠意を見せろ、ということになった。
そこで、村八分の家では子供をひとり人柱に建てることにした。それがどちら側の提案である
かは今となっては分からないが、一番小さい子供に白羽の矢が立った。
名主であったカンダ家が土地を提供し、人柱は建てられた。
そのおかげかどうかは分からないが、天災は収束し、その家も村八分を解かれた。
しかし、人柱を建てたその土地は農地やその他実用なことには使えない。
祠を建てて、子供を慰めようかという案もあったが、それでは人柱が記憶に残り、子供を生贄
にした罪悪感が引き継がれる。
そうして、土地はそのままにされたのだが、曰くつきの土地であり、いつの頃からか穢れた物
や忌みごとを捨てる地となった。
シブヤ氏が子供の頃は“ごっち”という人もいたが、シブヤ氏がそのように言うと、罰が当た
ると親に怒られた。ある程度の年齢になったとき、“ごうち”とは子供のことを意味すると教
えられた。
“ごうち”を丁重に管理しなければならないことは、集落の各家に伝えられているはずだが、
その謂れは、親の判断によって伝えられたり伝えられなかったりしているようだ。話したがり
とそうでない人がいるように、親がそうでないときは、詳しい話は伝えられない。初めのうち
は、祟りなどを恐れて詳細に語り継がれていたのだろうが、それにも限度がある。
だから、土地の持ち主であるカンダ婆さんもこのことを知らなくても不思議ではない。

「俺らも、あそこで死人が立て続けにでているので、たぶん“ごうち”に関係があるのだろう
と気を揉んでいた。俺らはもう歳だからいいとしても、そのうち子供や孫に害が及ぶんじゃな
いかと。自分勝手な考えだが」

「ありがとうございました」とオオサキ氏が礼を言って、再び話しだす。
「いろいろな地方で、例えば道祖神などにそういったことを肩代わりしてもらうといったことが
ありますが、これもそのひとつの形態といっていいでしょう。ただ、この“ごうち”の場合は
成り立ちが極めて特殊ですが。
 それで、そうしたことをするためには、何か“代”が必要になるわけですが、土地自体が強力
な“代”となりえます。
 しかし、昔あの辺りに住んでいた人々は、それをさらに強力なものにしようとしました。と言
うより、強力なものにしてしまったといったほうが正確かもしれません」

彼は、ここで1枚の地図を取り出した。アキバが調べた「ごうち」とその周辺の昔の地図である。

「これを見てください。これが“ごうち”本来の形です」

地図には赤鉛筆で線が引かれていた。

続く