[黒い貴婦人]
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濡れますよ。
俺が言うと女性はベールに隠された顔で穏やかに笑った。
優しいのね
たぶんそんなことを言ったんだと思う。
雨の中何をしてらっしゃるんですか
人を待ってるの。でもその人は来ることは無い。
正直なところ、ブロンドの喪服の年上女性と一夏の恋を期待していたのは否定出来ない。
もうあの人にお別れを言うべき時期なのかも知れないわね。
女性は立ち上がると傘を持った俺の手をそっと握った。
冷たかった。
あなたはこの町の人かしら?
はい。
○○墓地へ行きたいの。
彼女は大きな外人墓地の名を告げた。

次第に強さを増す雨の中を俺は外人墓地へ向けて歩いていた。
少し遠回りになるが家と方角は同じだ。走れば十分ほどの霊園の一角にその外人墓地はある。
傘を彼女に渡し、俺は雨に打たれながら歩いた。
夏とはいえ夜も深さを増し、雨も降っている。
まばらにしかない街灯がやけに頼り無く見えた。
あなたはこの辺りの人かしら?
ええ。歩いても近いですね。墓地からも遠く無いです。あっ。見えましたね。
俺が指さす方向に大きな外人墓地が見えた。
映画で見るような石版の墓が規則正しく並んでいる。
ここです。
俺は言いながらスケベ心もあり彼女の顔を盗み見た。
顔に掛けられたベールは思いのほか厚いのか、街灯の真下でも彼女の鼻先から上を見る事は出来なかった。
顎のラインや輪郭、鼻の形なんかは外人さんだけあってかなり整ってた。相当美人なんだろーなと予測。
ありがとう。
彼女はそれだけ言うと傘を俺の手に返した。
風邪を引いてしまうわ。今日はありがとう。こんな町にもあなたみたいな優しい人がいたのね。
実は下心ありありだったなんて言える筈もない。
この時点で俺は彼女に好感を持っていた。落ち着いた物腰や涼しげな雰囲気。なにより美人。

しかもスタイル抜群のパツキンの貴婦人(といっても三十路には差し掛かってないと思う。外人は老けて見えるから案外20代前半かも)。
雨の中の出会い。
ロマンティックじゃないか。
正直なところ淡い恋心のようなものもほのかに抱き始めていた。
俺は健全な高校生で、DQN高校で馬鹿だった

彼女は雨に濡れながら墓地へ続く階段に足をかけた。
意を決して彼女の横に並ぶ。
傘を彼女の上に。
彼女はびっくりした様に俺を見上げた。
危ないから墓参りが終わるまでつき合います。
俺が言うと彼女は驚き、少ししてから微笑んだ。
KOされそうな微笑みだった。
本当に…優しいのね。
彼女はそう言うと傘を持つ俺の手の上に両手を重ねた。
雨に濡れたその手は冷たかった。
別に優しい訳じゃなく、あくまで下心有りだったのに。

俺と彼女は密着したまましばらく歩いた。
彼女は俺に身を預けるように密着している。
舞い上がりきった俺は彼女の話もほとんど右から左に抜けていた。
この町にいい思い出なんか無かった。
そんなことを言ってた気がする。

しばらく歩き、彼女は目的の墓の前で止まった。
周りに比べると比較的新しい墓の様だ。
でも墓石なんてそうそう風化するもんじゃないから、周りの墓が古いだけなのかも知れない。
彼女は石版の上に花を一輪乗せると、多分名前が掘ってある部分を指でなぞり、言った。
なにひとつ幸せな記憶も無く死んでいった人は、なんの為に生まれてくるのかしら。
俺は何も言えず。阿呆のように、ただ立ちつくしていた

続く