[廃鉱からの発掘品]
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数年後、私は東京で大学生活を送っていました。

冬のある日のことです。
私は夏の帰省中に実家で取りだめたビデオの整理をしていました。
一つ一つデッキに入れては中身を確認し、ラベルを貼る作業です。

作業も半ばのことでした。
そのビデオだけがスポーツのものではなく、
TV局のスタジオ内らしき場所が映っていました。
どうやら妹が録画したものを間違って持ってきてしまったようです。
画面はちょうど、男性が2人の中年女性に何かを手渡したところでした。
1人の女性はそれを見るや、白目を剥いて卒倒しました。
隣の女性は「あ、やだ」と言ったきり、すすり泣き始めました。

それは1枚のスナップ写真で、
私が中2の夏に訪れたあの建物が写っていました。

そこはいわゆる「炭鉱会館」でした。
炭鉱地域の集会所と娯楽施設を兼ねた建物です。
その炭鉱は昭和40年代前半に坑道で大爆発が起こり、
多数の死者が出たそうです。
負傷者は炭鉱会館のすぐ横にあった赤レンガ建ての病院に運ばれ、
そこで亡くなる方も大勢いたそうです。
事故の後、そこは廃鉱となり、人々はその地を離れていきました。

テレビの画面にはその建物内部の写真も映し出されました。
その2人の女性によると、
たくさんの顔が写し出されているとのことでした。

胸騒ぎがしました。
そうです。あの「発掘物」です。
何も知らなかったとは言え、
悲惨な事故にあってその地を離れざるを得なかった人々の家から、
そして炭鉱会館から、
勝手に物を持ち出してしまったのです。
なぜあの家だけにあんなに色々なものが残っていたのか?
彼らは夜逃げ同然に去らなければならなかったのではないか?
それはなぜか?

冬休みになるとすぐに帰省しました。
あれを探し出して、元の場所に戻すためです。
帰った次の日にあの地に向かいました。
終点でバス降りると、急ぎ足で目的地に向かいました。
牡丹雪が激しく舞っていました。

あの上り坂の下まで来て愕然としました。
私はすっかり冷静さを失っていました。
季節は冬です。
もう誰も住まないあの地が除雪されることはないのです。
春になるのを待たなければなりません。

そして、それは帰ってきたその日から始まりました。

家に着いたときはもう夜の10時を回っていました。
落胆しながら帰る道すがら、
私は件の「発掘物」の保管場所のことを考えていました。
今回のことがあるまでは
中学時代の教科書などをまとめた段ボール箱に入れていたのですが
もうその気にはなれません。
色々と考えた結果、母屋とは離れた外の物置にしまうことにしました。

目的を果たせなかったこともあって心中穏やかではありませんでしたが、
疲れていたこともあって布団に横になると、すぐ眠りに落ちてゆきました。

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そこは木造の小学校で、私は教室の後ろで級友とふざけて遊んでいました。
そのときです。非常に強い視線を感じました。
休み時間で、教室では何人かの子供がグループになっていましたが、
一人だけ、どのグループにも加わらない子がいました。
見た感じ、何か妙な印象を与える子でした。
首が非常に短いのです。
その子が私をじーっと見つめていました。

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布団から跳ね起きると、私は肩で息をしていました。
急いで部屋の明かりをつけました。
部屋には何の代わりもありませんでした。
気持ちを落ち着けるために下の階へ行くと、母親と妹がまだテレビを見ていました。
いつもと何も変わらない情景です。
3人でテレビを見ていると気持ちが落ち着いたので
2階へ行き、また布団に潜り込みました。

続く