[家鳴り]
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「僕は、まだいるような気がするんだ」
師匠は目を泳がせて、笑った。
「彼か、あるいは、彼ではない別のなにかが。この家の地下室に。すくなく
ともこの家の中に・・・・・・」
その声は乾いた闇に吸い込まれるようにフェードアウトしていき、どこから
ともなく響いてくる金属的な軋みが絡み付いて、俺の背中を虫が這うような
悪寒が走るのだった。
再びその暗い絵に視線が奪われる。
そして言わずにはいられないのだった。
あなたにはわかったんですかと。
ボキン、ボキンと骨をへし折るような空恐ろしい音がどこからともなく聞こえ
る中、師匠はすうっと表情を能面のように落ち着ける。
「わからない」
たっぷり時間をかけてそれだけを言った。
夜明けを待たずに、俺たちはその家を出た。
結局、師匠の秘蔵品は拝まなかった。とてもその勇気はなかった。いいです、と
言って両手を振る俺に師匠は笑っていた。
のちに師匠の行方がわからなくなってから、俺はあの家の家主を見つけ出した。
1万1000円で家を貸していた人だ。
店子がいなくなったことに興味はない様子だった。なくなった物も、置いてい
った物もないし、別に・・・・・・とその人は言った。
それを聞いて俺は単純に、師匠は自分の収集品を処分してから消えたのだと考
えていた。
ところがその人は言うのである。
「ぼくがあの家を買い取った理由? それは何と言っても『地下室にいる』って
いう興味深い書置きだね。だってあの家には地下室なんてないんだから」
結論から言うと、僕はその家をもう一度訪ねることはしなかった。
何年かして、ある機会に立ち寄ると更地になっていたので、もう永久に無理な
のであるが。
この不可解な話にはいくつかの合理的解釈がある。地下室があるのに、ないと
言った嘘。地下室がないのに、あると言った嘘。そして『地下室にいる』と書い
た嘘。
どれがまっとうな答えなのかはわからない。ただ、深夜に一人でいるとき、部屋
のどこからともなく木の軋むような音が聞こえてくるたび、古めかしい美術品に
囲まれた部屋の、ランプの仄明かりの中で師匠と語らった不思議な時間を思い出す。