[血(後編)]
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京介さんはビールの缶をベコッとへこますと、ゴミ箱に投
げ込んだ。
そう簡単にはいかない。
なぜなら、間崎京子のタリスマンのことを話しはじめた時
から、俺の感覚器はある異変に反応していたから。
京介さんが、第二理科室に乗り込んだ時の不快感が、今は
わかる気がする。
体が震えて、涙が出てきた。
俺は借りたばかりのタリスマンを握り締めて、勇気を出して
口にした。
「血の、匂いが、しません、か」
部屋中にうっすらと、懐かしいような禍々しいような異臭
が漂っている気がするのだ。
京子さんは今日、一度も見せなかったような冷徹な表情で、
「そんなことはない」
と言った。
いや、やっぱり血の匂いだ。気の迷いじゃない。
「でも・・・・・・」
言いかけた俺の頭を京介さんはグーで殴った。
「気にするな」
わけがわからなくなって錯乱しそうな俺を、無表情を崩さ
ない京介さんがじっと見ている。
「生理中なんだ」
笑いもせず、淡々とそう言った顔をまじまじと見たが、その
真贋は読み取れなかった。

大学1回生の秋。
借りたままになっていたタリスマンを返しに京介さんの家
に行った。
「まだ持ってろよ」
という思いもかけない真剣な調子に、ありがたくご好意に
従うことにする。
「そういえば、聞きましたよ」
愛車のインプレッサをガードレールに引っ掛けたという噂
が俺の耳まで流れてきていた。
京介さんはブスッとして頷くだけだった。
「初心者マークが無茶な運転してるからですよ」
バイクの腕には自信があるらしいから、スピードを出さな
いと物足りないのだろう。
「でもどうして急に車の免許なんか取ったんですか」
バイカーだった京介さんだが、短期集中コースでいつのま
にか車の免許を取り、中古のスポーツカーなんかをローンで
購入していた。
「あいつが、バイクに乗り始めたのかも知れないな」
不思議な答えが返されてきた。
あいつというのは間崎京子のことだろうと察しがついた。
だがどういうことだろう。
「双子ってさ、本人が望もうが望むまいがお互いがお互い
 に似てくるし、それが一生つきまとうだろう。それが運
 命なら、しかたないけど。双子でない人間が、相手に似
 てくることを怖れたらどうすると思う」
それは間崎京子と京介さんのことらしい。

「昔からなんだ。あいつが父親をパパなんて呼ぶから、私
 はオヤジと呼ぶようになった。あいつがコカコーラを飲
 むから私はペプシ。わかってるんだ。そんな表面的な抵
 抗、意味ないと思っていても自然と体があいつと違う行
 動をとる。違うって、ホントに姉妹なんていうオチはない。 
 とにかく嫌なんだよ。なんていうか魂のレベルで」
高校卒業するころ髪を切ったのも、あいつが伸ばしはじめ
たからだ。
ショートカットの頭に手のひらを乗せて言った。
「今でもわかる」
なにかをしようとしていても、その先にあいつがいる時は、
わかるんだ。
離れていても同じ場所が痛むという双子の不思議な感覚とは、
逆の力みたいだ。
でも逆ってことは、結局同じってことだろう。
京介さんは独り言のように呟く。
「変な顔で見るな。おまえだってそうだろう」
指をさされた。
「最近、態度が横柄になってきたと思ってたら、そういう
 ことか」
一人で納得している。
どういうことだろう。
「おまえ、いつから俺なんて言うようになったんだ」
ドクン、と心臓が大きな音を立てた気がした。
「あの変態が、僕なんて言い出したからだろう」
そうだ。
自分では気づいていなかったけれど。
そうなのかも知れない。

「おまえ、あの変態からは離れた方がいいんじゃないか」
嫌な汗が出る。
じっと黙って俺の顔を見ている。
「ま、いいけど。用がないならもう帰れ。今から風呂に入
 るんだ」
俺はなんとも言えない気分で、足取りも重く玄関に向かお
うとした。
ふと思いついて、気になっていたことを口にする。
「どうして『京介』なんていうハンドルネームなんですか」
聞くまでもないことかと思っていた。
たぶん全然ベクトルが違う名前にはできないのだろう。京
子と京介。正反対で、同じもの。それを魂が選択してしま
うのだ。
ところが京介さんは顔の表情をひきつらせて、ボソボソと
言った。
「ファンなんだ」
信じられないことに、それは照れている顔らしい。
え? と聞き返すと、
「BOφWYの、ファンなんだ」
俺は思わず吹いた。いや、なにもおかしくはない。一番自
然なハンドルネームの付け方だ。
けれど、京介さんは顔をひきつらせたまま付け加える。
「B'zも好きなんだがな。『稲葉』にしなかったのは・・・・・・」
やっぱりノー・フェイトなのかも知れない。
そう呟き、そして帰れと俺に手のひらを振るのだった。


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