[血(後編)]
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やがて間崎京子が、あーあ、となげやりな溜息をつくとテ
ーブルの上に腰をかける。
「この遊びもこれでおしまい。あなたのせいとは言わないわ。
 同罪だしね」
悪びれもせず、屈託のない笑顔でそう言う。
京介さんはこれから起こるだろう煩わしい事にうんざりし
た調子で、隣りに並ぶように腰掛ける。
「おまえと一緒にいるとロクなことになったためしがない」
「ええ、あなたは完全に冤罪だしね」
「私も血を飲んだんだ。おまえと同じだ」
あら、と言うと嬉しそうな顔をして、間崎京子は肩を落と
す京介さんの耳元に唇を寄せて囁いた。
あの血はわたしの血よ。
それを聞いた瞬間、京介さんは吐いた。

俺は微動だにせず、正座のままでその話を聞いていた。
「それで停学ですか」
京介さんは頷いて、空になったビール缶をテーブルに置く。
誰もが近づくなと言ったわけがわかる気がする。
間崎京子という女はやばすぎる。
「高校卒業してからは付き合いがないけど、あいつは今頃
 何に変身してるかな」
やばい。ヤバイ。
俺の小動物的直感がそう告げる。

京介さんが思い出話の中で、「間崎京子」の名前を出すた
びに俺はビクビクしていた。
ずっと見られていた感覚を思い出してゾッとする。
近づき過ぎた。
そう思う。
おびえる俺に京介さんは「ここはたぶん大丈夫」と言って、
部屋の隅を指す。
見ると、鉄製の奇妙な形の物体が四方に置かれている。
「わりと強い結界。のつもり。出典は小アルベルツスのグ
 リモア」
なんだかよくわからない黒魔術用語らしきものが出てきた。
「それに」
と言って、京介さんは胸元からペンダントのようなものを
取り出した。
首から掛けているそれは、プレート型のシルバーアクセに
見えた。
「お守りですか」
と聞くと、ちょっと違うかなぁと言う。
「日本のお守りはどっちかというとアミュレット。これは
 タリスマンっていうんだ」
説明を聞くに、アミュレットはまさにお守りのように受動
的な装具で、タリスマンはより能動的な、「持ち主に力を
与える」ための呪物らしい。

「これはゲーティアのダビデの星。最もメジャーでそして
 最も強力な魔除け。年代物だ。お前はしかし、私たちのサ
 ークルに顔出してるわりには全然知識がないな。何が目的
 で来てるんだ。おっと、私以外の人間が触ると力を失うよ
 うに聖別してあるから、触るな」
見ると手入れはしているようだが、プレートの表面に描か
れた細かい図案には随所に錆が浮き、かなりの古いもので
あることがわかる。
「ください。なんか、そういうのください」
そうでもしないと、とても無事に家まで帰れる自信がない。
「素人には通販ので十分だろう。と言いたいところだが、
 相手が悪いからな」
京介さんは押入れに頭を突っ込んで、しばしゴソゴソと探
っていたが「あった」と言って、微妙に歪んだプレートを
出してきた。
「トルエルのグリモアのタリスマン。まあこれも魔除けだ。
 貸してやる。あげるんじゃないぞ。かなり貴重なものだ
 からな」
なんでもいい。ないよりましだ。
俺はありがたく頂戴してさっそく首から掛けた。
「黒魔術好きな人って、みんなこういうの持ってるんですか」
「必要なら持ってるだろう。必要もないのに持ってる素人
 も多いがな」
京子さんは、と言いかけて、言い直す形でさらに聞いてみた。
「あの人も、持ってるんですかね」
「持ってたよ。今でも持ってるかは知らないけど」
あいつのは別格だ。
京介さんは自然と唾を飲んで、言った。

「はじめて見せてもらった時は、足が竦んだ。今でも寒気
 がする」
そんなことを聞かされると怖くなってくる。
「あいつの父親がそういう呪物のコレクターで、よりによ
 ってあんなものを娘に持たせたらしい。人格が歪んで当
 然だ」
煽るだけ煽って、京介さんは詳しいことは教えてくれなか
った。
ただなんとか聞き出せた部分だけ書くと、「この世にあっ
てはならない形」をしていること、そして「五色地図の
タリスマン」という表現。
どんな目的のためのものなのか、そこからは窺い知れない。
「靴を引っ張られる感覚があったんだってな。感染呪術ま
 がいのイタズラをされたみたいだけど、まあこれ以上変
 に探りまわらなければ大丈夫だろう」
京介さんはそう安請け合いしたが、俺は黒魔術という「遊
びの手段」としか思っていなかったものが、現実になんら
かの危害を及ぼそうとしていることに対して、信じられな
い思いと、そして得体の知れない恐怖を感じていた。
体が無性に震えてくる。
「一番いいのは信じないことだ。そんなことあるわけあり
 ません、気のせいですって思いながら生きてたら、それ
 でいい」

続く