[血(後編)]
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「占い好きの連中に聞いた。おまえ、集めた血をどうして
るんだ」
今日目の前で倒れた女生徒は、左手の肘の裏に注射針の跡
があった。静脈から血を抜いた痕跡だ。それも針の跡は一
箇所ではなかった。とても占いとやらで必要な量とは思え
ない。
間崎京子は切れ長の目で京介さんを真正面から見つめた。
お互い何も発しなかったが、張り詰めた空気のなか時間だ
けが経った。
やがて間崎京子が胸元のポケットから小さなガラス瓶を取
り出し、首をかしげた。瓶は赤黒い色をしている。
「飲んでるだけよ」
思わず声を荒げかけた京介さんを制して、続けた。
「白い紙に落とすより、よほど多くのことがわかるわ。寝
 不足も、過食も、悩みも、恋人との仲だって」
「それが占いだって?」
肩を竦めて見せる間崎京子を睨み付けたまま、吐き捨てるよ
うに言った。

「好血症ってやつですか」
そこまで息を呑んで聞いていた俺だが、思わず口を挟んだ。
京介さんはビールを空けながら首を横に振った。
「いや、そんな上等なものじゃない。ノー・フェイトだ」
え? なんですか? と聞き返したが、今にして思うとその
言葉は京介さんの口癖のようなもので、no fate 、つまり
《運命ではない》という言葉を、京介さんなりの意味合いで
使っていたようだ。
それは《意思》と言い換えることができると思う。

この場合で言うなら、間崎京子が血を飲むのは己の意思の
体現だというのことだ。
「昔、生物の授業中に先生が『卵が先か鶏が先か』って話
 をしたことがある。後ろの席だった京子がボソッと、卵
 が先よね、って言うんだ。どうしてだって聞いたら、な
 んて言ったと思う? 『卵こそ変化そのものだから』」
京介さんは次のビールに手を伸ばした。
俺はソファに正座という変な格好でそれを聞いている。
「あいつは『変化』ってものに対して異常な憧憬を持って
 いる。それは自分を変えたい、なんていう思春期の女子に
 ありがちな思いとは次元が違う。例えば悪魔が目の前に
 現れて、お前を魔物にしてやろう、って言ったらあいつ
 は何の迷いもなく断るだろう。そしてたぶんこう言うん
 だ『なりかただけを教えて』」

間崎京子は異臭のする涙滴型のフラスコの中身を、排水溝
に撒きながら口を開いた。
「ドラキュラって、ドラゴンの息子って意味なんですって。
 知ってる? ワラキアの公王ヴラド2世って人は竜公と
 あだ名された神聖ローマ帝国の騎士だったけど、その息
 子のヴラド3世は串刺し公って異名の歴史的虐殺者よ。 
Draculの子だからDracula。でも彼は竜にはならなかった」
恍惚の表情を浮かべて、そう言うのだ。

「きっと変身願望が強かったのよ。英雄の子供だって、好
 きなものになりたいわ」
「だからお前も、吸血鬼ドラキュラの真似事で変身できる
 つもりか」
京介さんはそう言うと、いきなり間崎京子の手からガラス瓶
を奪い取った。
そして蓋を取ると、ためらいもなく中身を口に流し込んだ。
あっけにとられる間崎京子に、むせながら瓶を投げ返す。
「たかが血だ。水分と鉄分とヘモグロビンだ。こんなこと
 で何か特別な人間になったつもりか。ならこれで私も同
 じだ。お前だけじゃない。占いなんていう名目で脅すよ
 うに同級生から集めなくったって、すっぽんでも買って
 来てその血を飲んでればいいんだ」
まくしたてる京介さんに、間崎京子は面食らうどころかや
がて目を輝かせて、この上ない笑顔を浮かべる。
「やっぱり、あなた、素晴らしい」
そして両手を京介さんの頬の高さに上げて近寄って来よう
とした時、「ギャー」という、つんざくような悲鳴があが
った。
振り返ると閉めたはずの入り口のドアが開き、数人の女生
徒が恐怖に引き攣った顔でこっちを見ている。
口元の血をぬぐう京介さんと目が合った中の一人が、崩れ
落ちるように倒れた。
そしてギャーギャーとわめきながら、その子を数人で抱えて
転がるように逃げていった。
第二理科室に残された二人は、顔を見合わせた。

続く