[継呪の老婆]
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 実家に帰った。ネネとナナ、そして父が私を優しく迎えてくれた。親友を
失くした私を心配し、励ましてくれた。「いつでも帰って来い。お前の一人や
二人、いくらでも世話してやる。」いつもは寡黙な父が力強く言ってくれた。
「悩みあったら相談してね、彼氏のこととか、仕事の愚痴とか。」ネネと
ナナが私の背中をたたきながら笑った。結局、家族には、呪いのことは話せ
なかった。私は、呪いを拡散させる道を選んだ。もう、何も考えたくない。
 私は部屋に戻り、荷物をまとめた。家族や友人一人一人に手紙を書いた。
手紙はポタポタと湿っていく。涙で文字も良く見えなかった。やがて、涙も
枯れ果てた。私は、灯りを消してベッドに座り、静かにその時を待った・・。

 外から、ズリズリと何かを引きずる音が聞こえ、私は思わず飛び跳ねた。
心臓が止まりかけた。そのまま止まってくれればいいのに。玄関の扉が開いた。
呪いが、私の部屋に入ってきた。その正体を見た私は、意外にも冷静になった。
ズルズルと長い舌を引きずり入ってくる白く乾いた顔。恐ろしく、愛しい顔。
「トモ・・・。」彼女はグルリと反転した目玉で私を見つけ、すぅっと私に
近づき、紫色の長い舌を私の口に押し込んだ。立ったまま、石の様に固まった
私は、喉を通る長い舌の感触に身悶えした。私の体内で、その舌がポンプの
ように何かを吸い上げている。あっという間に力が抜けて、意識が薄らいだ。
絶望が、私を包んだ。お終いだ。これで呪いは拡散する。私の瞳に、最後に
映ったのは、トモだった。私の水分を吸い取ったのだろう、彼女の顔は、
元の張りのある艶を取り戻していた・・・。何も見えなくなった・・・。
トモの言葉が聞こえた。「サト。サトは正しい選択をしたよ。ありがとう。
呪にはもう、拡散する力はないよ。飲み込んだ人から人へと、ただ、
受継がれるだけ。」私は安心し、深い眠りに沈んでいった。

 私は、闇の中で眠りについていた。不意に、強烈な渇きを覚えた。急に、
暗闇から引きずり出される。私の喉は張り付いて、一滴のつばも出ない。
私は、舌をたらし、喉を掻き毟って水を求めた。ふと、遠くに人間が見えた。
私は近くの木に噛み付いた。水分は吸えなかった。遠くに見える女。あそこへ
行けば、水がもらえる・・・。数日後、私は女の家の入り口に立っていた。
女の姿が少し大きく見えた。また数日後、私は再び暗闇から引きずり出された。
やけ付いた喉が潰れそうだった。今日は、ついに、女の姿が大きく見える所
まで近づいた。手を伸ばせば届きそうだ。だが、私の手は動かない・・。
「水をください」その一言を伝えたくて、私は、動く部分をとにかく彼女に
近づけた。舌だけが動く。舌を長く伸ばし、必死に女に訴えた。だが、女は
私を救おうとせず、悲鳴を上げて逃げ去った。私は再び闇に引き戻された。
「ドウシテ キヅイテクレナイノ コノカワキヲ イヤシタイ ダケナノニ」
私は、唯一動く舌で暗闇の中で必死に水を求めた。だが、希望は見えている。
「モウスグダ モウスグ ミズヲ モラウコトガ デキル」私は確信した。
苦しみの中に喜びの笑みを浮かべた。

 ついにその日が来た。私は女のすぐ近くにいる。渇きを潤すことができる
喜びが、私を支配した。怯えた女が、何か言っている。大粒の涙を流して。
「私、死体を見たときに気づいたの。」水分がもったいない。水を無駄にする
この女が私は許せない。「お父さんが、親戚を説得してくれたから。」私は、
水をもらう事を諦めた。水の大切さの分からぬこんな女に頼んでも仕方ない。
そうさ。奪い取ればいい・・・・・。       

続く