[ごうち]
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シブヤ氏の話をまとめると、
少なくとも明治より昔、あの地区で村八分を受けた家があった。その折は天災続きで、村八分
を受けた家はとても生きていけなくなった。そこで村人に許しを請うのだが、村八分というの
はされた側に問題がある。それなら、心を入れ替えた誠意を見せろ、ということになった。
そこで、村八分の家では子供をひとり人柱に建てることにした。それがどちら側の提案である
かは今となっては分からないが、一番小さい子供に白羽の矢が立った。
名主であったカンダ家が土地を提供し、人柱は建てられた。
そのおかげかどうかは分からないが、天災は収束し、その家も村八分を解かれた。
しかし、人柱を建てたその土地は農地やその他実用なことには使えない。
祠を建てて、子供を慰めようかという案もあったが、それでは人柱が記憶に残り、子供を生贄
にした罪悪感が引き継がれる。
そうして、土地はそのままにされたのだが、曰くつきの土地であり、いつの頃からか穢れた物
や忌みごとを捨てる地となった。
シブヤ氏が子供の頃は“ごっち”という人もいたが、シブヤ氏がそのように言うと、罰が当た
ると親に怒られた。ある程度の年齢になったとき、“ごうち”とは子供のことを意味すると教
えられた。
“ごうち”を丁重に管理しなければならないことは、集落の各家に伝えられているはずだが、
その謂れは、親の判断によって伝えられたり伝えられなかったりしているようだ。話したがり
とそうでない人がいるように、親がそうでないときは、詳しい話は伝えられない。初めのうち
は、祟りなどを恐れて詳細に語り継がれていたのだろうが、それにも限度がある。
だから、土地の持ち主であるカンダ婆さんもこのことを知らなくても不思議ではない。

「俺らも、あそこで死人が立て続けにでているので、たぶん“ごうち”に関係があるのだろう
と気を揉んでいた。俺らはもう歳だからいいとしても、そのうち子供や孫に害が及ぶんじゃな
いかと。自分勝手な考えだが」

「ありがとうございました」とオオサキ氏が礼を言って、再び話しだす。
「いろいろな地方で、例えば道祖神などにそういったことを肩代わりしてもらうといったことが
ありますが、これもそのひとつの形態といっていいでしょう。ただ、この“ごうち”の場合は
成り立ちが極めて特殊ですが。
 それで、そうしたことをするためには、何か“代”が必要になるわけですが、土地自体が強力
な“代”となりえます。
 しかし、昔あの辺りに住んでいた人々は、それをさらに強力なものにしようとしました。と言
うより、強力なものにしてしまったといったほうが正確かもしれません」

彼は、ここで1枚の地図を取り出した。アキバが調べた「ごうち」とその周辺の昔の地図である。

「これを見てください。これが“ごうち”本来の形です」

地図には赤鉛筆で線が引かれていた。

「以前にあった雑木林との境、水路との境、隣地との境界を線引きすると、この通り、人の
形になります。しかも頭の大きな幼児の形です。恐らくこれは偶然ではなくて、当時の人が意識的に形を作ったのでしょう。
 祠など、目に見えるものを残すのは嫌だが、それでも罪悪感は残る。それで、せめてもの標しに土地を子供の形に模った。
 その後、この地が忌み的な場所となってしまったので、災いが起こらないように−或いはすでに何らかの災いが起こり−能力のある人物の助言を得て土地を改造し、結界を張った。
 人型も人形がそうであるように“代”としては優秀なものです。つまり土地を人型に囲い、
その上で結界を張り、かなり強力な“代”としたのです。いや「なってしまった」と言うべ
きでしょうか。
 これならば、ここに捨てられた念や不幸は外に漏れる心配がない。
 ただし、人型は“代”としては優れている反面、ややもすれば閉じもめた念を増幅させて、
それが一人歩きしかねないといった欠点もあります。いわば諸刃の剣といったところです。
 だから、これでは篭った念が強くなりすぎて、ある日突然狂ったように暴れだす、というこ
とにもなりかねません。
 そこで、巧妙な仕掛けを作った。この仕掛けこそが、誰だかは分かりませんが、能力のある
人物のアドバイスによって作られたものでしょう。
 それがこの水路です。
 この水路は幼児の頭にあたる部分を通っていますが、ここの結界をわざと弱くした。その
ため、飽和した念や恨み、穢れといったものはここから水路に流れ込みます。そしてこの水路
は近くを流れるE川につながっています。こぼれ出た念を水に封じ込め、そのまま水やその他
自然の力によって弱めながら海まで運ばれ、拡散される。実にうまい仕組みだと思いますよ」

続く