[つんぼゆすり]
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「鬼ゆすり?」
「なんでそう言うかは知らんが・・・。まあそうしたことがよくあった場所らしい」
伯父はなんとなくあそこはそうした人たちが住んだ集落なのだろうと思った。

ほとぼりがさめたころ、伯父は仲間と連れ立ってまたあの集落にやってきた。
一軒一軒まわって念仏を唱え、落雁を土間にそなえて親子の霊をなぐさめた。
そしてまた以前のように遊びまわってから夕暮れ前に帰ろうとしたとき異変が
起きた。
森に入ってから雨が降り出したのだ。さっきまで完全に晴れていて綺麗な夕焼け
が見えていたのに。
伯父たちは雨の降る森を駆け抜けようとした。
しかしどうしてそうなったのか分らないが、方角がわからなくなったのだという。
一人はこっちだといい、一人はあっちだという。
それでもリーダー格だった伯父が
「帰り道はこっちだ間違いない」と言って先導しようとしたとき、その指挿す方角か
らかすかに赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
一人が青くなって「あっちは元来た方だ」と喚いた。
頭上を覆う木の枝葉から雨がぼたぼたと落ちてくる中で伯父たちは立ち尽くした。
仲間はみんな耳を塞いで泣き声の方角からあとずさりはじめた。
「違う違う。だまされるな。帰り道はこっちなんだ。間違いない。逆にそっちにはあの
 集落があるぞ」
伯父は必死に叫んだ。
そうしている間にも泣き声は不快な響きをあたりに漂わせていた。
伯父は一人を殴りつけてむりやり引っ張った。
「耳を塞いでろ。いいから俺の後について来い」
そうして伯父たちは泣き声のする方へ歩いて行った。
やがて木立が切れて森を抜けた時、そこはいつもの村外れだった。
みんな我を忘れてそれぞれの家に走って帰ったという。

僕はその話を聞いて伯父に「雨は?やっぱり降ってなかったんですか」
と聞いたが、伯父は首をかしげて「それがどうしても思いだせんのよ」
と言った。


これにはさらに後日談がある。
伯父が家に泣きながら帰ってきたとき、なにがあったのか聞かれてこっぴどく
怒られたらしい。
当然もうあの森に入ってはいけないと、きつく戒められたそうだ。
そしてしばくたって伯父はその家の当主でもあった刀自の部屋に呼ばれた。

刀自は伯父を座らせて言った。
「つんぼゆすりとはそうしたものではない」
この刀自は僕にも遠縁になるはずだが、凄く威厳のある人だったという。
一体誰に吹きこまれたか知らぬが、と一睨みしてから刀自は語りじめた。

この村はむかし、どこでもあったことだが生まれたばかりの子供を口減らしの
ために殺すことがあった。貧しい時代の止むをえない知恵だ。
本来はお産のあと、すぐに布で首を締めるなりして殺し、生まれなかったことに
するのだが、おぶるくらいに大きくなってから殺さなければならなくなったときには
世間というものがある。
そこで母親はつんぼがあやまって赤子を揺すり殺してしまうように、わざとそういう
あやしかたをして殺すのだ。
事故であると、そういう建前で。
業の深い風習である。それゆえに鬼ゆすりとも呼ばれ忌避されるのだ。

「おぬし、弔いの真似事をしたそうだが、そのとき母親に情をうつしておったろう」
伯父はおもわずうなずいた。
「あのあたりに昔あった集落はどれも貧しい家だった。とりたてあそこでは鬼ゆすり
 が行なわれたはず。いいか、浮ばれぬのは母親ではなく殺された赤子のほうじゃ。
 助けをもとめて泣き叫び、それもかなわずに死んだ赤子の怨念が、泣き声が呪詛と
 なって母親の魂をとらえ、この世に迷わせて離さぬのだ」

伯父はそれを聞いて総毛立ったという。やはりあの時森の中で聞いた声は
伯父たちを誘っていたのだ。
『母親の成仏を願ったから』
あのまま元来た道を行っていたら、とり殺されていたのかもしれない。

刀自は静かに言った。
「鬼ゆすりのことを伝え継ぐのはわしら女の役割じゃ。産むことも殺すことも
 せぬ男はぐっと口を閉ざし、見ざる言わざる聞かざるで過ごすものだ」
伯父は恐れ入って、もうこのことは一切忘れると刀自に誓ったそうだ。


時代が大きく変わる時、廃れていく言い伝えや風習が最後の一灯をともすように
怪異をなすのだと、伯父はいつもそう締めくくった。


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