[A日新聞奨学生]
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新聞配達をする者にとって、雨は大敵だ。もう梅雨の気配が漂うこの時期、借上
げアパートの屋根に落ちる雨音はそれだけで憂鬱になる。新聞のビニール袋詰
めを計算すると1時間早く出なければならないからだ。

501の件の翌日深夜、オレはザーっという雨音で目が醒めた。
「雨かよ クソッ」
オレは押入れからカッパを取りだし、アパート内の1階にある下駄箱から長靴を
取ってきてもう一度2階に上った。1階の玄関は鍵が掛かっていて、配達員は
2階のドアから出入りするよう言われていたからだ。オレの部屋は2階の東の端。
出入口はすぐ隣だ。

オレはドアを開け、外に出た。
星が輝いていた。

「晴れてんじゃねえかよ」
寝ぼけてたかな?とカッパや長靴をしまい、折込作業に出かけた。何事もない
普通の1日だった。

そしてその夜、オレは雨音で目が醒めた。

「あれ?雨か・・・」
オレはまた押入れからカッパを取りだし、1階の下駄箱から長靴を取ってきて外に出た。
星もない暗い夜だったが、雨は降っていなかった。
「ふざけんじゃねえよ 何だよこれ?」
誰に文句を言う訳にもいかず、カッパや長靴をしまい、また折込作業に出かけた。

変だなとは思いつつも、別に気にもとめずその夜も眠りについたが、なんとその夜も
雨音で目が醒めたのだ。さすがに、布団の中でしばらくじっとしていたが、そのうちに
「雨音」だと思っていた音が、木の葉っぱの束で屋根を擦るような音だというのに気
が付いた。
「風で木の葉か何か当たってんのかな?」
オレは布団から出て、電気もつけずそのまま窓まで行って古いサッシを開けた。

当然のように雨は降っていなかった。そして-
「音」は止んでいた。

背中に突き抜けるゾクリとする嫌な感触と、梅雨時期のむっとする空気がどっと
流れ込んできて、心臓の鼓動が警報機のように早くなった。
窓から首を出し上を見ることもできたが、その好奇心はとんでもないリスクがある
ように思えた。
その誘惑を止めたのは、突然隣の部屋から聞こえてきたすさまじい唸り声だった。
それは唸り声というよりもがき苦しむ声だったかも知れない。踵で床を蹴るような
音もし始め、ただごとではない状態だった。
階下の大家のおばはんが文句を言いながら上ってきた。
ひとつ隣の会社員も起きてきて、ドアを叩いて「K田さーん どうしはりました?
大丈夫ですか?」とやってみたが、何の応答もない。

しばらくそんな状態だったが、5分ほどしてようやくK田さんがドアを少しだけ開け、
顔を出した。そしてアパートの住人に言った言葉は
「どうしたんです?みなさん集まって」
だった。何も憶えていないらしいかった。

M木アパートの大家はありったけの罵り言葉を、聞こえるような独り言でぶちまけ
ながら下に降りていった。ひとつ隣の会社員も迷惑そうに自分の部屋に帰って
いった。
オレは雨音のことを考えないようにした。今から寝るわけにもいかず一人でタバコ
を吸い、相変わらずの折込作業に出て行った。 その朝、オレは朝刊を配り終えて、予備校に行くため駅に立っていた。
オレの視界の隅っこで人影が不自然に動いた。通勤特急に飛び込んだ瞬間だった。
その人がK田さんだという事を知ったのは、学校から帰ってきてからだった。

夜、いつもよりシーンと静まりかえった部屋でオレはなかなか眠ることができなかった。
あの雨音のことも気になってきていた。昼間アパートの周りを見たのだが、屋根
に届く木など無かったからだ。一体何だったんだあの音は?という疑問と、得体の
知れない気持ち悪さ、朝の人身事故の光景が重なってどうにも眠れない。

オレが「それ」を認識したのはこの夜からだった。

雨音ではなかった。例えていうならルービックキューブを両側から押さえつけて回した
ような音、きしむような砕くような音が部屋全体からし始めたのだ。
古い建物は昼と夜の温度変化できしみ音がすることもあるらしい。しかし、この音は
そんなものじゃなかった。

続く