[和解]
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入院先は隣の県の大きな病院だった。
病院に着いた時には面会時間は過ぎていたので、近くのホテルに泊まって、翌日面会に行った。
病室は8床程の部屋で、同室は3人程か?
アリサの母は一番奥の窓側のベッドらしい。
カーテンを開け中を覗くと点滴のチューブが繋がったやせ細った「老婆」が寝ていた。
いや、還暦前の年齢だから老婆というのは正確ではないが、痩せ細り血色の悪い、妙に黄色い肌は老人のそれだ。
だが、見ただけで先日の「生霊」の主なのは判った。
左目に特徴的な泣き黒子もある。
そして、もうあまり先は長くない事は誰の目にも明らかだった。
ベッドの前でアリサの母を見下ろしていると、ガッチリとした体格の初老の男が声を掛けて来た。
「お見舞いの方ですか?どういったご関係で?」
アリサが「娘です」と答えると、男は顔を引きつらせて絶句した。
人の気配のせいだろうか?
アリサの母親が目を覚ました。
目の前の状況が飲み込めないのであろうか?
呆けたような顔をしてアリサの顔を見つめる。
アリサが固い声で「お母さん分かる?私よ」と言うと母親はぶわっと涙を流しながら、ウンウンとうなずいた。
男が俺に「少し席を外しましょうか?」と言うので「じゃあ、私も」と言って男の後についていった。
屋上に上がって並んでベンチに腰掛けた。
俺は男に「失礼ですが、どういったご関係の方ですか?」と尋ねると、
「昔、彼女の夫だった男です」
「えっ?アリサの・・・」
「兄の父親です。あの子が出来て、すぐに別れたのであの子に会うのは初めてですけどね。・・・話は聞いていたけど、驚きました」
アリサの母親は、結婚し出産した後も仕事を続け、日本と海外を往復する生活を続けていたようだ。
海外に出張中に夫以外の男と関係を持ってアリサを身篭り、それが元で夫とは離婚し、息子を連れて相手の男と再婚した。
ただ、アリサを身篭ったのは酒で意識がないときの不同意での出来事だったらしい。
アリサの母の不貞とは言えないだろう。
しかし、かねてから夫は妻に仕事を辞め、家庭に入り、子育てに専念するよう諭し続けていた。
そんな折に、不同意の出来事とはいえ、他の男の子を身篭ったのでは修復は不可能だった。
アリサの祖父母と前夫は親子のように仲が良かったらしい。
アリサの母も、本心ではアリサの父ではなく前夫を愛していた。
両親の離婚の結果、兄は優しかった祖父母や父親と引き離された。
生まれたときから1年の半分は海外で、日本に居る時も仕事ばかりで育児を両親と夫に丸投げだった母親は彼にとっては他人同然だった。
そんな母に見知らぬ外国に連れて行かれた上に、新しい父親は家庭には無関心な人物だった。
親元を離れて帰国して、慣れない日本の高校に入学したのは彼自身の意思だった。
アリサ自身に責任のないこととはいえ、日本の星野家においてアリサの存在が憎悪の的となる事は、酷だが、不可避的だったようにも思われた。
病院から近いアリサの母の前夫の家に一泊し、翌日、もう一度見舞った後、俺とアリサは帰った。
帰り際、アリサの母親に俺は「どうか、『娘』のことをよろしくお願いします」と言われた。
アリサが母親と何を話したのかは判らない。
ただ、母と『娘』は和解出来たようだ。
アリサの母の満足そうな顔を見て、俺はアリサを連れてきた甲斐があったと思った。
帰りの車の中、俺とアリサはずっと無言だった。
途中、一度だけアリサが口を開いた。
「お母さんね、本当は女の子が欲しかったんだって。・・・初めから女の子に産んであげられなくてごめんねだって」
「・・・そうか」
「・・・うん。・・・ありがとね」
それから暫くして、アリサの母親は亡くなった。
俺とアリサは再びアリサの郷里へと向かった。
続く