[黒い影]
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私の幻覚は日に日に酷くなっていった。
鎧武者や老婆だけではなく、小さい子供や犬のような獣も見えるようになった。
医者に相談しても、「幻覚だ。とにかく仕事を休め。」と言われるばかりだった。
「あなたの母親や寺の古い記憶が、類型的な幽霊の姿を作り出している可能性もある。」
とも言われた。確かに、そう言われればそんな気もする。
私は、また薬をもらって病院を出た。

仕事を休むことを考えながら自転車を漕いだ。
家の近くの大通りを横切る横断歩道で信号待ちをしていると、
正面から妻が子供を前に乗せてこっちへ向かってくるのが見えた。
買い物に行く途中のようだった。
妻は私を見つけると、笑って手を振った。
それ見た子供も、こっちに向かって手を振っている。
二人を乗せた自転車は、そのままのスピードで交差点を横切った。

信号はまだ赤だった。
私の目の前で、妻と子供は直進してきたトラックに轢かれた。

そこから先の記憶は、酷く曖昧だ。
病院や警察関係者、妻の両親、いろんな人が目の前に現れたけれど、
何を話しかけられ、何を話したのか、全くといって良いほど憶えていない。

気がつくと夜で、私は自宅の寝室で3人分の布団を敷き、自分の場所に横たわって、
妻と子供の居ない布団をボンヤリと眺めていた。
不思議に涙は出なかった、と思う。

天井を見ると影があった。だが、そんなことはどうでも良かった。
振り向けば鎧武者や老婆もいるのだろう。
それがどうした、というような気持ちだった。恐怖など感じなかった。

また、空の布団のほうを見た。
妻の布団に、あの老婆が座っていた。
その時、初めて感情がこみ上げてきた。
物凄い怒りと、悲しみだった。
何でお前がそこに居るんだ、と。
そこに居て良いのは妻と子供だけだ、と。
ここに居て欲しいのは家族だけなんだ、と。
妻や子供、母親と父親、いたかどうかもわからない姉。

私は叫んだのかもしれないし、暴れたのかもしれないけれど、
朝が来ると部屋はそのままで、足下には3組の布団が整然と並んでいた。 あれから10年以上の時が過ぎた。
私は相変わらず長距離ドライバーをしながら、全国を転々としている。
今年で36になるが、未だに独身だし、結婚するつもりもない。
死ぬまで、この暮らしを続けようと思う。

相変わらず、心霊現象には否定的だ。
あの時の事も偶然と幻覚の所産だと、そう思いこんでいる。
死後の世界や怨念なんか信じていない、信じたくもない。
死にさえすれば、意識や感情、思い出も何もかもが無くなるのなら、
こんな楽なことはない。

けれど、もし、本当に死後の世界があって、私が幽霊になったなら、
あの世で、私の家族を奪った霊を見つけだし、ぶん殴るつもりだ。


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