[輪廻]
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私は翌日、予定通り、間田英雄の母親の出身地、青森県の苫和地村を訪ねた。
この地は津軽藩の統治時代に、すさまじい大飢饉(農作物の凶作による飢餓)があった。
飢えに苦しみ抜いた人々は、隣の子どもと自分の子どもを取り替えて殺し、
煮て食べたという。

 私はこの村の元庄屋で、史実にくわしいO氏(七十六歳)を訪ねた。
 東京で起きた忌まわしい殺人事件を告げると「やっぱり・・」と深いため息をもらし、
重い口を開いた。
その内容は、身の毛もよだつものだった。
 その昔、裏山の麓に水のない井戸があり、それは、大飢饉のときに人を殺して食べた
残骸の捨て場所となっていた。村じゅうの人が次つぎに捨てるものだから、首と皮や
骨だけの死体があふれ、その様から「重ねの井戸」と呼ばれるようになったという。
 そのころ、喜助という百姓がいた。大飢饉の中、彼は壁土を食って飢えをしのぎ、
けっして人には手をかけなかった。ところが、不幸なことに、最愛の女房を「良介」という
百姓に殺され、食われてしまった。そして死体を重ねの井戸へ・・・。
「良介」という名は、あのマンションに現われた霊が発した名まえと同じだ!
 私は身をのりだして、話の続きに聞き入った。
 変わり果てた女房を見た喜助は、気が狂い、井戸の死体をすべて掘り出して
干上がった自分の田畑に埋め、一心不乱に耕しだした。そのため、頭を割られた
何十もの生首が土から飛び出し、まるで地獄絵図のような光景だったそうだ。

 それを知った良介は、村人たちを率いて喜助を取り囲み、
「おまえの女房はうまかったぞ」と吐き捨てて、彼を殴り殺してしまった。
 なんともむごい話である。これでは喜助が浮かばれない。
 案の定、喜助は霊となって良介を襲った。
 殺されたときの傷を露にし、ものすごい形相で良介を追い立てたのだ。そして、
苦しみもがいた良介は、腹をかき破るという怪死を遂げた。
 のち、飢餓も収束に向かい、この村にも平和がおとずれたが、喜助を殺し、
食った良介の子孫には、次々と不幸が訪れた。一族から生まれてくる男の子は、
みな精神分裂で、周囲の家に火をつけたり、娘を強姦したり、殺人を犯したというのだ。
 その良介の子孫にあたるのが、間田家だったのだ。
 非業の死を遂げた喜助の霊が、自分を殺した相手を呪い続け、代々にわたって
発狂させたのか。
続く