[逆さの樵面]
前ページ

大正11年の5月11日、神楽面が出て来たという通報が村役場に
ありました。
高橋家という旧家の土蔵より、幾ばくかの資料とともに2つの神楽
面が発見されたというのです。
高橋家はかつて数代にわたって神楽の座長を務めたといわれており、
何代か前にあとを襲う男児に恵まれなかった折に養子を招き、神楽
からは離れていったようです。
そしてなんらかの理由で次の太夫にこれらの面と舞を伝えることも
ないまま、演目が亡失するという事態に至ったということでした。
さて、面は出て来たものの舞の復活には至りません。
祭文が出てこないのです。
しかし、失われた神楽舞の復活に賭ける気運が高まっていたため、
千羽神楽を興した日野家のルーツである熊野へ人を遣り、近似の舞
から演目を起こすというという計画が持ち上がっていました。
そんなとき、計画を主導していた当時の座長である森本弘明氏が
不思議な夢を見たのです。

弘明氏は消防団の団長も勤めていた人物で、公正で篤実な人柄が
認められていたといわれています。
その彼が神楽が催されたある夜に、舞い疲れて家に帰らず神社の社殿
で一人眠っていたとき、真っ暗な夢が降りてきたと言うのです。
夢で深山の夜を思わせる暗闇の中にひとり佇んでいると、目の前に
篝火がぽっと灯され、白いおもての奇妙な服を着た人物が暗闇の奥
より静々と進んできました。
良く見ると白い顔は神楽面で、高橋家の土蔵より発見された山姫と
呼ばれる面だったのです。
格衣に白い布を羽織り、山姫の面を着けた人物は篝火の前まで進み
出ると、弘明氏に向かってこう言いました。
『これより、山姫の舞を授ける』
そして静かに舞いはじめたのです。
弘明氏はこれはただの夢ではないと直感し、その舞の一挙手一投足を
逃すまいと必死で見ていたそうです。
やがて山姫が舞い終わると、篝火が消え深い闇の帳が下りました。
しかしまだ夢が覚めないのです。
また篝火が灯りました。
こんどは赤く猛々しい鬼神ような面をつけた人物が現れました。
そしてこう言うのです。
『これより、火荒神の舞を授ける』
山姫の舞から一転して激しい舞がはじまりました。そしてその面は
やはり土蔵から見つかった面だったのです。
舞が終わるとふたたび篝火が消え、また灯りました。
こんどは格衣に烏帽子姿の人物が闇の奥より現れました。
面を着けていない素面で、その目じりには深い皺が刻まれた初老の
男でした。
『これより、萩の舞を授ける』
その声を聞いて明弘氏はすべての舞を演じたのがこの人だと悟った
のです。
明弘氏は、舞を見ながら涙を流したと言います。
どの舞も情熱的で、人が舞っているとは思えない神々しい舞でした。

社殿の畳の上で目覚めて、明弘氏はただちに今見た舞を踊りました。
試行錯誤を繰り返し、東の山に陽が射すころには3つの舞を完璧に
この世に蘇らせたといいます。

続く