[板の文字]
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流石の私も全力で絶叫しました。
その間にも段々とその人物のブレは酷くなっていき、サラリーマンの原型を留めないまでになっていました。
とうとう私の頭は壊れてしまった。その時は本当にそう思いました。
諦めたようにただ呆ける私をよそに、もはや人物と呼べなくなったそれは尚も横にブレ続け、
やがて一枚の白い板になりました。
もう死んで楽になろう、そんな考えが頭によぎったとき、その白い板の中央に小さな文字が浮かびました。
本能的にその文字を読もうと、白い板に近づきました。
そこには平仮名で「でんわ」と書いてありました。
首を傾げると同時に電話の着信音が鳴りました。

はっと体を起こし、電話を取ると会社からでした。
上司は「寝坊か?」と笑っていました。
寝坊どころか一週間ほど無断で休んだんですけど・・・と思い、日付を確認すると、
なんと私が電話の電源を切り、サボった日に戻っていたのです。
心の底からホっとしました。
「よかったぁぁぁ」と安堵の声を漏らしてしまうほどでした。
しかし遅刻であることに代わりはありません。
急いで部屋を飛び出そうとドアのノブをひねると、悪寒が走りました。
ドアが開きません。
恐る恐る後ろを振り向くと、予想通り白い板が広がっています。
泣きました。もう勘弁して下さいと声を上げて泣きました。

白い板の中央に、またしても文字らしきものが浮かびあがります。
泣きながらそれを読もうと近づく私。
これを読めばまた元に戻れるかもという期待が少しあったのかもしれません。

気がつくと私は病院のベッドに横たわっていました。
看護師に話を聞くと、自室の窓を突き破って2階から飛び降りたそうです。
怪我は、右足を骨折しただけで済んだそうです。
会社にはベランダに干してあった衣類をとりこもうとして誤って転落したと伝え、
完治するまで休職させていただきました。

今では職場に復帰し、それなりに充実した日々を送っています。
しばらくはドアノブを回すという行為が怖くて仕方なかったのですが。
あの頃は新入社員としてわくわく感もあった反面、不安も大きかった。
その不安が精神に変調をきたし、あのような幻覚を見せたのではないかなと思っています。
未だに霊の存在は信じていませんが、もう馬鹿にしようという気は起きません。
なぜなら、あのとき味わった「自分は壊れてしまったのか」という絶望感が忘れられないからです。
霊を見たと豪語する人たちも同じような状態だったのだとしたら、とても笑う気は起きなくなってしまいました。
ちなみに、二度目に見た白い板の文字はやたらと長文だった気がしますが思い出せません。


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