[命の重さを知る]
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ここで、少し時間を戻しますが、「がま腫」という名前を聞いた瞬間、
自分が行ってきた蛙の殺戮行為が頭に浮かび、まさかという気持ちと
祟られたという気持ちが頭を支配しました。
祖父にがま腫のことを話したとたん、なにかまじない的なことを
俺に行うようになりました。後々そのことについて聞いたところ
大阪の石切剣箭神社という腫れ物の神様を祀る所に関連する簡単な祈祷だと言っていました。
信心深い祖父ではありましたがまさかそんな祈祷の真似事までできるとは思っていませんでした。

毎日毎日その祈祷を祖父は俺に行ってくれました。
その祖父の姿を見ていて、俺は今までの蛙にしてきた仕打ちを
次第に反省するようになり、何故か空に向かって謝ったりなんかもしていました。

それは入院前の最後の診察前夜にもまだ続いていました。
そして診察に行ったとき、できものに変化がありました。
突然小さくなっていったのです。1週間前の診察時よりはるかに小さくなりました。
薬などは服用していませんでしたが、このままなくなってしまうのであれば、
手術するよりはいいとの医者の判断で入院・手術は中止になりました。
ただ、薬で完治することはないとの判断から、定期的に受診することになりました。
一月後、二月後と診察を重ねていく度にできものは小さくなっていき、
その頃には口の中の膿腫も無くなっていました。
(正確に言うと無くなったのでなく、自分で針で穴を開けて内容物を出したのですが)
結果的に最後の診察になった3月の診察時にはできものは確認されず、
そのまま終息という形に落ち着きました。

あごのできものはその後1度だけ出てきましたがすぐに引っ込み、
口腔内の膿腫は2〜3回発生し、その度に針で刺しました。
それから約20年は何も起こっていません。
祖父は後々発生したときのためにその祈祷を教えてくれると言っていましたが
その機会は作れず、教えてもらえませんでした。(すでに他界)

以上です。
特に何があったと言うことでもなく、俺が勝手にそう思っているだけで
祖父の祈祷が効いたのか、自然治癒しただけなのかわかりません。
(がま腫は自然治癒することはあまり無いそうです)
詳しい人なら医学的に全て説明できることだろうとは思います。
が、俺にとっては意味も無く命を奪うことの罪の重さを感じた出来事でした。
この出来事以来、俺は蚊すら殺せなくなりました。


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