[佇む女]
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彼の目には、あの女がはっきりと見えている。
それが、級友に見えないはずはない。

しかし、級友たちは次第に呆れたような表情を浮かべるようになった。
Uはなにをどう言っていいかわからず、ただ「あそこにいるんだ」とだけ繰り返した。
級友たちの呆れ顔の中には、恐怖と警戒の目でUを見る目が混じり始めている。
『こいつ、なにが見えてんの……? おかしいんじゃないか?』
その目は、雄弁に級友たちの考えてることを語っていた。

Uは悔しさと、たった今、級友たちとの関係が壊れた絶望に、
込み上げる吐き気をこらえられず、その場で吐いたと言う。

それでも、級友たちは「きったねー!」などと冷ややかだった。
誰も吐く彼のことを心配せず、最初にUが『女』を『危ない人』だと思ったように、
級友たちもまた、Uを『危ない人』を見る目で見ていた。

気づくと、ばたばたと級友たちが走り去るところを、呆然と眺めていた。
Uは泣くのをこらえられず、その場でしばらくしゃくりあげた。
そんな自分を情けないと思うと、それがまた感情を高ぶらせる。

通りがかる人に、「大丈夫? 具合悪いの?」と尋ねられ、はじめて彼は
泣き止むことができた。
近所のおばさんらしき人だった。嘔吐物が目の前にあるので、急病かと思われたらしい。
Uは我に帰って、しどろもどろに、「ちょっと具合が悪くて……」と説明し、
「救急車を呼ぼうか?」との親切な申し出を断った。

実際、一度感情を爆発させたせいか、意外にすっきりしていた。
Uはなおも心配しているおばさんに頭を下げて、家はここから近いので、
ひとりで帰れると言い張った。
おばさんは一応納得したが、「具合悪いなら、寝てないとだめだよ」と
一言のこして、Uをちらちら振り返りながら去って行った。

Uは空虚な気分で、家に帰るために歩き出した。
明日から、学校で彼にどんな目が向けられるだろうか。
今日のことはなにかの勘違いだったと言うことで、級友たちにうまく説明できないだろうか?

そのことばかり考えていたので、彼は最初、『女』の視線に気がつかなかった。
ふと気がつくと、『女』の前を通り過ぎるところだった。

『女』が振り向いていた。
首だけをこちらに傾けるようにして、髪の毛の向こうから、明らかにこちらを見ている。
目は髪に隠れて、Uからは見えなかったが、髪の毛の内側の目がこちらを凝視しているのは、
はっきりとわかった。

腰が抜けそうになった。どうやってその場を立ち去ったのか、よく覚えていない。
Uは自室のベッドの中で、布団をかぶって、しばらくガタガタ震えていた。
かなり時間が経って、夕方ごろになると、次第に冷静になって来た。
つまり、「俺が見たのは、本当に幽霊だったのか……?」と言うことだ。

前述したように、Uは受験勉強に疲れていた。
両親からことあるごとに勉強の調子を尋ねられ、テストがあれば
点数のことばかり注意を受ける。
自分でも、それに疲れきっていることはわかっていた。

それならば、もしやあの『女』は本当に幻覚ではないだろうか?
ストレスのせいで、精神的に参っていて、あんな『女』を見てしまったのでは、
ないだろうか?

一度疑心暗鬼に陥ると、もう止まらなかった。
翌日の月曜、あの道を避けて学校へ行くと、級友たちがいつもよりぎこちなく
彼に挨拶する。
ひそひそと周囲でささやかれる言葉が漏れ聞こえてさえ来た。
「あいつ、ちょっとおかしいよ」「前からおかしいと思ってた」
「勉強のしすぎでさ、頭がちょっと……ほら、親もうるせーらしいじゃん」
噂はあっと言う間にクラスに広まった。

思うより、堪えた。周囲との距離があっと言う間に広がったようだった。
あからさまに、「ねーなにか見える? このクラスの中にもさー」などと、
好奇心と悪意の混じった質問まで投げかけられる始末だった。

当然、授業に集中できるはずもなく、Uはその日、またしても気分が悪くなり、
早退することになった。

彼は電車の中で、真剣に考えた。
あの『女』は自分の妄想で、本当はいないのではないかと。

自分が狂っているのかと思うと、居ても立ってもいられず、Uはフラフラと例の
川辺の道に向かっていた。

『女』を探してその場所へ行った。
『女』はいなかった。
Uはほっとするやら、拍子抜けするやらで、しばらくその場にたたずんでいた。
やはり、自分はストレスから変な幻覚を見ていただけで、
それを自覚したから、『女』のことが見えなくなったのだと思った。

Uはそのままとぼとぼと、家へと歩き始めた。
『女』が見えなくなったのはめでたいが、明日からいったいどういう学校生活を
送ればいいのか、見当もつかない。
クラスメイトたちの視線を思い出すと、それだけで憂鬱になる。

続く