[そーいう写真の話]
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写真掲示から時間がたち、いつの間にか写真は撤去されていた。
いつのまにか文化祭が終わり、いつの間にか卒業式の練習が終わっていた。
もう、だれも「そーいう写真」を話題にしなくなっていた。
そしていつの間にか卒業し、中学生になった。
中学校もまた小さく、小学校とほとんど同じ立地条件で、人数さして変わらない。
ただ校区が違うヤツがはずれて、そのニッチに別の小学校のヤツらが入ってきただけだ。
学校の半分は見知った顔だったが、先輩達はすごく大人に見えたし、すごく大人風を吹いて回ってた。
大人になったという実感はなかった物の、「大人になった立場」について満足していたのを覚えている。
そんなある日、ふと目に入った物がある。
小学校の卒業アルバムだ。
とくにいい思い出もない学校生活だったので放置気味だったのを発見したのだ。
おかしな感覚に駆られ中を開いてみると、そこには今とあんまし変わらないあの頃の彼らがいた。
俺が写っている写真を探してみたがなかなか無く、かろうじて見つかった1枚は浴場でとられた物だった。
ガラス窓の後ろに広がる夜の海を背に、5人が窓縁に腰掛けた状態で。
みんといっしょにピースして写っている。
股間にはタオルを巻いていた。
巻いてないやつのディグダは、うまいこと隠れていた。
「ああ。俺の写真写り悪いな・・・。」
そんなことを考えながら写真を眺めているとき。ある物が目に入った。
ディグダだ。隠れていないだれかのディグダが写っている。
右に座ったやつの手をかわし。
左に座ったやつの膝をかわし。
確かに、小さいが確かにディグダが写っている。
「なんだこの写真!だれのだよ!」そうおもって顔を確認する。
無い。顔が。
理解に少し時間がかかった。
・・・顔がない。
いや、手も、足も、無い。
しかも座っている場所は、窓の外。
興奮しているのがわかる。
こめかみから眼球に向けて何かあつい物が通り抜ける。
脳が熱を持つ。
ああ。
「そーいう写真」だ。
これは、胴体だけが写っている、「そーいう写真」だ。
見間違いだろうと何度も見直した。
だが、風呂の水面の陰は5人分しか、無い。
というかディグダが写っていたら写真屋はとらないはず。
見つけた達成感と。
遅かったという敗北感が俺を支配した。
不思議と全く恐怖はなかった。
それ以来、今日でも。「そーいう写真」の話になるとその写真の話をしている。

*ディグダ(この場合は男性の股間のあれを指す)


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