[復讐]
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私は竦んで硬直した身を奮い起こして立ち上がり、とおせんぼした。
彼は、寂しそうにうつむき、私をおしのけようとした。
彼のハンディキャップを考えれば信じられないほどの力だった。
並の成人男性が本気でどのくらいの力がでるのか、味わった事はないが。
多分それ以上にはあったんじゃなかろうか。
「私が全部払ってあげるから、やめて。」
私は思わずそういった。
「なんで?君を殺す理由ないよ。愛してるんだ。」
狂人の口から愛してるなんて言葉をきくとはおもわなかった。
でも、彼にとっては小学生の頃、勇気が出せなかった唯一の味方でも、たった一人の大事な想い人になりえたのだろう。
「私、結婚してる。でも〇〇君のなら、子供を生んであげる。
あなたの大切な子供を、あなたの分まで幸せにしてみせるから。」
愛してると言う言葉が本当なら、私はこの言葉にかけた。
彼は両手で自分の頭をがんがん叩きはじめた。
それから頬につめをたててざりりと嫌な音を立て、爪が皮膚にもぐりこみ、血が伝いだした。
「変だな。起きない。」
彼の異常が目立ちだした、まるで子供のような直情な仕草だ。
「もう休んでもいいじゃない。私が働いてあげるから、主夫になってよ。ね?」
思いつく限りの言葉を並べ立てて気をひこうとする。
とうとう彼は刀を抜き。尖端を自分太股にぐさりとつきたてて。
「おっかしいなあ」
と言い出した。
小さな頃の、ハンディキャップをせおって身体を満足に動かせなかった彼は、そこにいなかった。
心の中に生まれた憎悪の炎、たぶんそれをずっと燃やし続けて、他の人より何百倍も努力したのに違いない。
人を殺すのに十分、彼は刀を扱えていた。
あまりに哀れである。こんなになるまで誰一人彼にイジメたことを謝らなかったのだ。
復讐されるその寸前まで、そして今も、私の後ろの建物の中で自分は善良な市民を装っていたのだ。
生徒をやつあたりで負傷させ、イジメたその教師との歓談に耽りながら。
思わずかけよって刀を抜かせると。流れた血がズボンにしみてゆくのを必死に手で押さえた。
「離婚して、あなたと再婚する。」
「俺にもわかる、おまえがかわいそうだ」
口調がまったくかわって一人称もかわった。
円らな目が細く鋭い輝きを放って、声も低く、唸るような響きを持った。
これが多分あの嘲りをやってのけた、彼の異常そのものだと瞬間的に理解した。
彼の壊れ方は、一般的にいえば、二重人格として知られるものだったようだ。
だとしたら、外部の脅威に対抗するために作り出された人格は、凶悪であるはず。
そうあるべき、凶悪としか思えない彼の目から粒の涙がこぼれた。
そのまま泣き崩れると彼は号泣した。
皆がその声を聞いて驚いて出てくる前に、私は彼の荷物をもとどおりにまとめて、彼をつれて実家に向かった。


私がこの話をせざるを得ない理由は、私も辛いからだ。
私は、不倫し、そして縋る夫を捨てて、他の男と同棲を続けているアバズレと見られている。
まだ離婚は成立していない。
事情を知らない者達からみれば、私が悪いとしか思えないのあたりまえの事だ

しかし真実、アバズレは私のママだ。
彼女は、担任の娘婿とW不倫し、担任が狂うきっかけをつくった。
彼女の父、私の祖父が途方も無い大金持ちだったから。
担任は声高に非難して職を失うか、黙って先生を続けるかを選ばされたらしい。
このことはママが、私の大学時代にまた不倫をして、その前のものと合わせてパパから語られた。

ママの罪が担任を狂わせ、担任の罪が、クラスメイトを狂わせ。
そして最後にその全ての狂気を彼一人が、まるで帳尻あわせのように背負わされた。


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