[もう一つのトイレ]
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すると、私の悲鳴を聞き向かいの部屋から友人が出てくる気配がした。
『なんだよ夜中にうる・・・ぎゃぁあああ!』
けたたましい悲鳴、廊下を走る音、そして階段を転げ落ちる激しい音。
その音で残り2人の友人も目を覚まし、廊下に出てきたらしい。
しかし今度は悲鳴をあげることもなく、私の部屋をノックしてきた。
私は半泣きになりながら、部屋を出ると、掠れた声で
『か、階段、階段っ!』
と階段方向を指差すと、その場にしゃがみこんでしまった。
友人の一人が階段に行くと、派手に転げ落ちたもう一人を発見し、直ぐに救急車を
呼んだ。
程なくして救急車が到着、階段を落ちた友人は数箇所骨折している様子で、また
意識もないことからそのまま病院に運ばれることとなった。
私はこれ以上この場所に居ることが絶えられず、付き添いとして救急車に乗り込んだ。
翌日、そのまま入院となった友人(病院で意識を取り戻したが、まだ処置の途中と言う
ことでろくに会話は出来なかった)を残し、一人研修所にもどった。
待っていた友人2人に昨夜の出来事を話したが、やはりこの2人は何も見ておらず
見たのは、入院中の友人と私だけだったらしい。
とにかく、これ以上ここには宿泊したくも無く、荷物をまとめ、研修所を後にした。
いったい、あいつはなんだったんだろう。あの開かずのドアって・・・。
帰宅後、研修所を所有する会社に勤めている親父さんに、事の経緯を説明したところ
親父さんは、ハッとした顔をした後、ぽつりぽつりと語り始めた。
3年程前、まだ頻繁に研修所を使用していた頃、社外講師を招いて、その年度に入社
した新入社員12名を対象に2週間の自己啓発セミナーを実施した。
その内容はかなりハードなもので、社会人としてのマナーは勿論のこと、生活面でも
全てを規則で縛り付けていた。その12名の参加者の中に一人の女性がいた。
かなり華奢な体つきをした彼女は、相当の偏食家で好き嫌いが多いといったレベル
ではなかった。当然、この講師が食べ残しを許すはずも無く、口の中に食べ残しを
押し込み、水で流し込むように食べさせていたのだった。
彼女は夜な夜な、2階のトイレで胃のものを吐き出す生活を続け、半ばノイローゼ状態
に追い込まれていた。
研修も後半に入ったある夜、やはり夜中に2階のトイレで嘔吐を繰り返していたところを
講師に見つかってしまった。講師から、研修所中に聞えるような大声で激しい叱責を受け、
最後には、お前みたいな精神が弱い人間は生きている価値が無い、とまで言われたそうだ。
自分の吐瀉物にまみれ、呆然と座り込む彼女を心配し、同期の何人かが声をかけたが
何の反応も無かったそうだ。
翌朝、同期の一人が用を足そうと2階のトイレに入ったところ、彼女が浴衣の紐を個室の
ドアの鴨居にかけ、首を吊って死んでいたそうだ・・・。
私たちがあの研修所を利用した半年後、建物は取り壊された。