[追跡]
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ただ、わずか数メートル先から右へ折れる裏道がやけに気になった。車が通れる
幅に加え、すぐにまた直角に折れていて見通しが悪い。人ひとりいなくなるのに、
うってつけの経路じゃないか。
そんな妄想ともつかない言葉が頭の中に浮かぶ。
念のためにレストランまで行き、師匠の人相風体を告げるが店員に覚えているも
のはいなかった。デートはここまでだったらしい。
確かに何かが起きている。
「続きは?」
彼女に促されて、ページをめくる。
「タクシーに乗ります」
そして俺は、運転手に「人面疽」を知っているかと聞く。
人面疽?
どうしてそんな単語がここで出てくるのか。
困惑しながらも読み進めるが、どうやらこのページはタクシーによる移動の部分
しか書かれていないようだ。風景などの無駄な描写が多い。
俺たちはタクシーを止め、乗り込む。
そして運転手に人面疽を知っているかと聞いてみた。40代がらみのその男は、
「いやだなぁお客さん、怪談話は苦手なんですよ」と言って白い手袋をした左手
を顔の前で振った後、「ジンメンソはよく知りませんけど、こないだお客さんか
ら聞いた話で……」と、妙に嬉しそうにタクシーにまつわる怪談話を滔々としは
じめた。
怪談好きの客と見てとってのサービスなのか、それとも元々そういう話が大好き
なのかわからなかなったが、ともかく彼は延々と喋り続け、俺はなにかそこにヒ
ントが隠れているのかと真剣に聞いていたが、やがて紋切り型のありがちなオチ
ばかり続くのに閉口して深く腰を掛け直した。
タクシーは郊外の道を走る。
降りるべき場所だけはわかっていたので、俺たちは座っているだけで良かった。
「人面疽」とは、体の一部に人間の顔のような出来物が浮かび上がる現象だ。い
や、病気と言っていいのだろうか。オカルト好きなら知っているだろうが、一般
人にはあまり馴染みのない名前だろう。
そういえば、師匠が人面疽について語っていたことがあった気がする。結構最近
のことだったかも知れない。
なにを話していたのだったか。ぎゅっと目を瞑るが、どうしても思い出せない。
隣には膝の上に小さなバッグを乗せた彼女が、どこか暗い表情で窓の外を見ていた。
やがてタクシーは目的地に到着する。周囲はすっかり暗くなっていた。
運賃を二人で払い、車から降りようとすると運転手が急に声を顰めて、「でもお
客さん。どうして気づいたんですか」と言いながら左手の手袋のソロソロとずら
す素振りをみせた。
一瞬俺が息をのむと、すぐに彼は冗談ですよと快活に笑って『空車』の表示を出
しながら車を発進させ、去っていった。
どうやら元々が怪談好きだったらしい。
俺はもう二度と拾わないようにそのタクシーのナンバーを覚えた。
「で、ここからは」
彼女があたりを見る。
公園の入り口付近で、街灯が一つ今にも消えそうに瞬いている。フェンスを風が
揺らす音がかすかに聞こえる。
俺はペンライトをお尻のポケットから出して『追跡』を開く。
いつなんどきあの人が気まぐれを起こすかわからないので、最低限の明かりはで
きるだけ持ち歩くことにしていた。