[お大事に]
兄が彼女の家に泊まりに行って来たらしい。 
私が嫌味に「楽しんできた?」と聞くと、兄は苦笑しながら言う。 
「あの家には絶対行きたくない」 
他人をあまり悪く言わない兄の口からこんな言葉が出たことに驚き、 
私は深く聞いて見ることにした。 
彼女の家は古い昔ながらの日本家屋で、 
噂で金持ちと聞いてはいたが、間近に見るとそのでかさに圧倒された。 
「でかいな…」 
兄が呆けた様に呟くと、彼女は「古いけどね」と苦笑する。 
家の中は1部屋1部屋が広く、通された彼女の部屋も広かった。 
部屋でのんびりすごしていると、突然彼女が真剣な表情で言う。 
「あのね、私の部屋出るんだ」 
「出る?」 
「うん。私は実際見たわけじゃないんだけど」 
彼女いわく、自分の部屋に泊まりに来た人は必ず、 
何か恐ろしいものを見るらしい。 
ただ彼女自身は何も見たことがないので、確証は持てない様だ。 
深夜。時間はわからない。 
腕がつるような感覚で目が覚めた。 
起き上がろうと体に力を入れるも、 
目の前な壁の様なものが邪魔をして起き上がれない。 
ようやく、闇に目が慣れてきて 
視界も寝ぼけた思考もクリアになると、 
目の前の壁の様なものの正体が見えた。 
それは兄に馬乗りになる彼女だった。 
いつもはにかんで笑う瞳は、狐の様につりあがり、 
唇は力を入れすぎたのか切れて血が出ている。 
兄が恐怖に目を反らしたら、彼女は動物の様に唸りながら兄に噛み付いた。 
歯が肩に食い込み、焼けるような痛みが体を襲う。 
普段の非力な彼女からは想像できないほどの力に、 
戸惑いながらも、力いっぱい突き飛ばすと、 
床に叩きつけられた彼女は動かなくなった。 
ただ眠っているだけだと確認して、彼女をベッドに運んだが、 
兄は朝まで眠れなかった。 
次の日、夜が明けると逃げる様にその家を出た。 
彼女は不思議そうにしていたが、彼女の妹が一言、 
「お大事に」 
と言って笑っていた。 
その後すぐに彼女とは別れたそうです。 
兄の肩の傷は6年経った今でも残っています。