[和服の少女]
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霊体験という訳であの音も聞こえない。私は泣きそうになるのを堪え、トイレのほうへ近づいた。
だが、トイレには一向に近づけない。それどころか、遠ざかっていくかのようにも思える。
私はふと、周りの音が聞こえにくいことに気がついた。思わず耳に当てた手にぬるっとした、いやな感触が伝わった。
腰が抜けそうになり、泣き叫びそうになったが、その感触はすぐに無くなり、あの音が私のほうから遠ざかっていく。
普通の思考を持った人間なら、そのままナースステーションに転がり込んで助けを呼ぶのだろうが、どうも私は気でも触れていたのか、その音を追いかけていたのである。
まるで、友達と鬼ごっこでもするかのように。
音を追いかけているうちに、いつの間にか私の中の恐怖心は消えていた。私は、その鬼ごっこが今まで生きてきた中で、一番楽しい時間だったのだと思う。
時計を気にすることなく、先生や親に怒られもしない。とても、楽しい時間だった。
何時間経っただろうか、私はその音をようやく捕まえた。あの冷たい感覚が手を伝ってくるが、今度は気にもならなかった。
そこで私の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
目が覚めたときには、私は病院の外の庭で寝ていた。
医者は「どうも、君は夢遊病か記憶喪失のケがあるのかな」と目を細めて笑っていた。
きっと、あの医者は見えていなかったのだろう。その部屋の周りを、青い鞠をつきながら遊びまわる少女の姿を。
それから、毎夜というくらい私が寝て数十分すると、胸の上にネコくらいの重さのものが圧し掛かってくるのである。
綺麗な空色と、桜色が散りばめられた着物を着ながら、パチンパチンと両手を鳴らして。