[忌まわしい記憶]
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その日の夜、風呂にも入って、布団に入り丁度ウトウトしだしたころ、あの不安をかき立てるような、人の神経を逆撫でするようなサイレンと鐘を鳴らしながら何台もの消防車が走り去る音を聞きました
母もカーテンを開け窓の外を見やりました
あれ、あっちの空が真っ赤だよ

翌日の朝、私が学校に行く用意をしていると、父と母が話しているのが聞こえました
昨日の火事はやっぱり○○だったんだ、逃げ遅れたお婆さんが焼け死んだ、と
おそらく新聞の地方欄にでも載っていたのでしょう
学校に行くと、Aはいつもの席に座っていました、下を向いて
私が入ってきても下を向いたままでした
私もAと目をあわせませんでした
私が引っ越すまでずっと

それから数日を経ない、私が引っ越す前日、授業の途中、教頭先生がAを呼びに来ました、後ろには学校では今まで見たことがない、背広を着た男の人が立っていました
私は青くなりました、いよいよ来た、警察が私達を取り調べに来たんだと思いました
私はもう引っ越すこともできない、一生刑務所の牢屋の中で過ごすんだ、と。
恥ずかしいことに、私はその時自分の事しか考えてい

それきり、その日はAは教室に戻っては来ませんでした
私はそれをいいことに逃げるようにして家に帰りました
翌日、その日は午前中にクラスで私のためにささやかなお別れの会をしてもらった後、家族とともに引っ越し先に向かう予定でした
けれどもAはその日も教室に姿を現すことはありませんでした
その夜、私は新しい木の香りも匂うその家で熱を出し吐きまくりました
引っ越し祝の寿司もケーキも何もかも吐きました
Aからも警察からも電話はありませんでした
もっとも当時私の家は呼び出しでしたが
ともかくも、私は一月程怯えて過ごした後、いつしかその事は忘れていったのです

三鷹の図書館で過去の新聞記事を探せば本当のことがわかるのでしょうが、そういう事は私は不得手だし、地図を見てもすっかりあの時とは変わってしまっているようで、見ても自分がどの辺りに住んでいたのかもわからない、そして恐い
図々しいようですし、またスレ違いのような気もするのですが、このスレ、荒らされているといつてもかなり多くの方がみているようなので
あの辺りに住む人、または過去のデータベースを探せる方、12月の20日前後の事です、ほんとうにそんな事件があったのか
誰か情報いただけませんでしょうか


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